社会のみかた -3ページ目

学童保育の拡充から考えたこと

小学生以上の子どもを預かる学童保育施設の受け入れ人数を今後30万人分増やすとか。
女性の社会進出(労働)を促すにはいい施策でしょうね。

しかしふと思うと、本来は子どもが小学校を卒業するくらいまでは、親のどちらかが家にいる方がいいに決まっています。

家で家族と遊んだり学んだりするのもいいでしょう。
学校や近隣の友達と外で遊んだりしてもいいでしょう。
そして、家に戻ってその日のことを話す。
学童に入れっ放しでは、そんな時間の自由度と多様性は小さいものになるでしょう。

様々な自由で多様な経験によって、子ども人格形成は行われるでしょうし、日本の文化・慣習を学びながら将来を夢見ることになるのではないでしょうか。

日本は人口減少社会となり、労働力不足は確定しています。
それを補うために、国は出産の啓発や育児への手厚い助成を行い、外国人労働力の導入を検討し、育児中の女性の就業を促してます。

子どもを預けて働きに出る多くの母親は、生きがいや社会との関わりよりも、「お金」のために働くと思われます。
子ども手当は子どもの数に応じて支給されていますが中学生まで。

大きなお金が掛かる高校や大学の学費などをつくることが働く理由という家庭も少なくないでしょう。

そんな両親を見て育った子どもが、多くの子どもを産み育てたいと思うのか、疑問ですね。

両親が共に働かないと生活できない現状に問題はないのでしょうか。
子ども手当の支給額の増額や支給年齢の延長、子どもの人数に応じて高校大学の学費を補助する、などの政策が必要に思います。
消費税増税分の使い道は、対処施策としての学童保育施設拡充だけではなく、こうした助成に使ってもらいたいものです。そもそも国は、どのくらいのママさんの労働力を充てにしているんでしょうかね。

穿ってみれば、現状は低賃金労働力を殖産する政策に見えなくもない気がします。

足りない労働力は、是非とも外国人の受入で補ってもらいたいです。
現代社会で単一民族国家を標榜するわけでもないでしょうし、成人の総労働力化を目標にする国家ってのもいかがなものかと思いませんか。

創価学会の発言に思う政党の政策判断の基

創価学会が、集団的自衛権の解釈変更についての見解を発表しました。
自民党石破幹事長は、「公明党が主体性を失うことはないだろう」とコメント。

ここで考えさせられたことは、議会制民主主義という間接的な政治における民意の反映の程度です。
政治の執行を選挙によりその代表者に信託することが理念となっているが、日本の政党政治においては信託された民意を執行するというよりは、政党の政策を選択することが選挙であり個々の政策に対する民意の反映は非常に薄い傾向にあると思います。

その中でも大きな影響力が残る民意となるのが、有力な支持母体となる大きな団体の要請です。
ロビー活動に代表されるように団体の利益を重視する傾向が強く、決して一般的な民意が反映されるとは言いがたい場合が多いですが、ひとつの民意ではあります。
今回の創価学会の見解発表も、ひとつの大きな民意です。

信教の自由を守るべく制定されている政教分離の原則によって禁止されている宗教的活動とは、
「行為の目的が宗教的意義をもっていること。その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」
とされていますので、今回の発言は問題ないでしょう。

であるならば、大きな民意として受け止める義務があるのにも係らず、政党の主体性を優先すべきという発言は、間接民主主義の大義を損なわせる発言に思います。

圧倒的な優位性を持つと、強気になるのは人間の性。
民意が常に正しい訳ではありませんが、民意を無視した政党政治の実現へ拍車がかかりますね。

我々国民一人ひとりは、何らかの形でもいいので政治を暴走させないような影響力を保持しなければなりませんね。
また、各政党も、均衡状態にある政治の中でも、必要な政治決定が実行されるよう成熟して頂きたいものです。

そうなるまでは、最大の民意反映となる国民投票を多用してもいいかと思います。
無関心ないねむり国民を叩き起こすようなことをしたくはないんでしょうけど。

鼻血で考える風評と可能性とリスクヘッジ

「美味しんぼ」の福島鼻血問題は、賛否両論も手伝ってか、ものすごい拡散をみせましたね。
震災から3年。ほどよいタイミングでの問題提起になったと思います。

今回考えさせられたのは、「風評」と「可能性」と「リスクヘッジ」のバランスをどう考えて、判断を下すべきなのかの難しさです。
この問題では、より問題を難しくさせている「情報管理(操作)」もあります。

日本人は特にリスクをきらう傾向にありますから、結果的には過度なリスクヘッジ対応をとる割合が多いでしょう。
過度なリスクヘッジは、終わってみれば「風評」だったということに繋がります。

しかし、「風評」かどうかは、「(リスクの)可能性」がなくなった時点、あるいは問題が収束した時点で判明するのであり、その両方が不透明な現段階では「風評」であると断言することはできません。

国や行政の一連の対応をみると、情報の操作性への疑義が深まりるとともに、「風評」であることを煽動しているとも感じられます。ますます自己判断が下せなくなり、「可能性」を否定できず、結果として「リスクヘッジ」へと傾いた人は少なくないのではないでしょうか。

今回を機に、完全なる情報操作が不可能であることに気付くべきでしょう。
そうでないと、すでに「風評」が確定している対象すら、その被害から救済できないのではないでしょうか。


私はいまだに子どもには水道水を飲ませておらず、炊飯や料理に使う水もミネラルウォーターです。
以前に東京の水道水から放射性物質が検出されてから続けていますが、止めない理由には、水道水にふくまれる放射性物質の規制量の緩和や発表基準の緩和などがあります。

自分で自信をもって判断できるまでか、子どもが大人になるまでは続けます。
できれば自信を持って止める判断をさせて欲しいものです。

ウクライナの住民投票の正当性

ウクライナ東部における住民投票についての報道が盛んですね。
欧米や日本の政府は認めないと発言いていますね。
根本的には、各国がそれぞれ自国の国益に沿って発言しているだけですけどね。

ふと今回の住民投票が民主主義に叶っているのかいないのかを考えさせられました。

民主主義の基本原則であり欠点でもある「多数決」。

その母数のくくり方で、結果は異なります。
そして今回のようなケースでは、その母数の条件をどこにおくべきか。
結構不透明ですよね。

私はウクライナとロシアの歴史に疎いので、本ケースに関しての判断はできませんが、一概に民主的でないとはいいきれないでしょう。


「革命」自体は決して民主的な裏打ちはありませんが、民主主義体制を目的としたものである場合は、民主主義国家からの批判はありません。

また、昔からでしょうが、自治に関する問題は国を単位として考えることが主流です。
各国の政府は「国単位」で発言する訳ですから、国を単位としない発言は当然しません。
かつて、国という単位を必要としていなかった多くの地域も、住民が望む望まないに係らず、どこかしらの国に非民主的に編入されているケースも多かったでしょう。

国家の定義は結構明確になっている気がしますが、国家の設定条件なんていうものの定義は皆無なのが現状でしょう。

問題の質は違えど、様々な組織の中にも存在し得る「多数決」と「民主的」の正当性の疑義。

民主主義も発展途上。
日々のコミュニケーションが大切ですね。

駅名の命名騒動

北海道新幹線の駅名がなかなか決まらないようですね。
駅がある北斗市側は「北斗函館駅」、函館市側は「新函館駅」を主張しているとか。
どうでもいい気もしますが少しおどろいたのが、北斗市側が「函館」を名前に入れていること。

「東京ディズニーランド」のようにその場所ではない地名を名前につけることはよくあります。
町名は違うのに、駅のある町名をマンション名の一部に入れたりとかもそうですが、「駅に近い」とか「東京にある」といったイメージを相手に思わせることは集客につながるので理屈はわかります。

しかし、駅名となると、、、、。

駅名に「函館」が入ると何かいい事があるのでしょうか。
函館市側は、観光誘致の一助となると考えていると思われますが、北斗市側にとっては何もメリットがないように感じます。

北斗市にあるなら「北斗駅」でいいような気がします。
地理感覚に乏しいということでしたら、せめて「道南北斗駅」とか。

平成の市町村大合併の際にへんてこりんな名前の市が多々誕生したことがありましたね。
地名は歴史に通ずるものがありますから、大切にして欲しいですね。
駅名は地名以上に認知度が高くなりますからより慎重にして欲しいものです。

私の住む自治体には結構有名な「北千住駅」があります。
しかし、実際には「北千住」なんて地名はなく、勘違いしている人も多いと思います。


今回の件、JRに一任することになったようですが、両市に気を使ってキラキラネームにならない事を祈ります。