社会のみかた -2ページ目

真実はつくられる

シリア情勢で反政府勢力側情報が実はPhotoshopによる捏造だらけだったことが判明したという記事がネットにありました。記事にある写真はもとよりシリア情勢の多くの真贋は不明なんだと思います。

近代の内戦、紛争、戦争は、情報戦が非常に重要です。
世界の世論をどう味方にするかという意味での情報戦が勝敗を分けるカギといえるでしょう。

お互いが、正義がどちらにあるかを世界にアピールし、堂々と軍事大国を引き入れた方が勝つのでしょう。
しかし、援軍となってくれるためのご褒美をたっぷり用意しなければなりません。
そしてそのご褒美は、なかなか世論には曝されません。

マスメディアの報道もその国の体制が大きく影響するでしょう。

現場のフリーの記者であっても、その現場の状況により個人的な意思は大きくぶれることでしょう。例えばひとつの虐殺現場に立ち会えば、虐殺された側への同情心は必ず生まれ、それは全体の正義とは価値観が一致しないことも多いでしょう。

事実は、「考えがぶつかる2つの勢力が争っている」ということだけなのかも知れません。
争いの結果として残る真実は、勝者の正義というつくられたものなんでしょうね。

日常における、他者の考えとの論戦の結果も同じかもしれません。
達観したいものです。

ネットと新聞

W杯で日本サポーターが敗戦後にゴミ拾いする様子に世界が驚いたとして、twitterを中心に海外のメディアで話題になっているという記事がネットに流れていますね。素晴らしい行為だと思います。



しかし、ネットの記事は場合によっては疑いの目をもつべきでしょう。もちろん今回の記事は事実でしょう。疑問なのは「海外のメディアで話題になっているのか」。驚き、感心する外国の方のコメントが掲載されていますが、せいぜい10~20です。これで「世界が驚く」とは言いがたいし、海外ではたいして拡散していない可能性もあります。「海外のメディア」=「外人さんのtwitter」かもしれません。今回に関してはどっちでもいいんですけど、例としてです。

ネットのいいところは速報性ですので、それを捨ててまで正確性を求めるつもりはありません。
しかし、新聞となると少し違います。

昨日の午前中に見たこの記事が、昨日の夕刊に掲載されていました。
普通は早くても数日のタイムラグがあるのにやるな~と思いきや、記事の内容はネットとほぼ同様。
少しくらい遅くてもいいから、反応数や拡散の状況、もっと言えばこの状況の取材くらいしてもらいたいもんです。新聞には、速報性より数的な正確性や独自取材による状況報告を期待したいですね。


近所の本屋さん

うちの近所にある中型の本屋さんが今月限りで閉店となりました。
駐車場のある郊外型のチェーン店舗でした。
休みの日に行くショッピングセンターには本屋が必ずあるので、ことは足りますが寂しい限りです。

昔はもっと近くに個人経営の店が数店ありましたが、今はありません。
大型の店舗は電車に乗れば2つ目の駅にありますが、普段電車に乗らない自分には遠く感じます。


わたしはもっぱら、本は本屋さんに出向いて買うことが多い。

常に数冊の欲しい本をピックアップしてあるので、本屋に出会った時にはほぼ寄って探します。
なかなか見つからない場合もありますが、すぐに読まなければならないケースはほとんどないので気にせず、違う本屋に寄る度に探します。
数店舗を経て出会えた時は実に嬉しいですね。

本屋がいいのは、意外な本に出会えることですね。

アマゾンのサイトなんかを閲覧していると、あなたが好きな本はこれかもと、いろいろ興味のある分野の本が画面に出てきますが、本屋での出会いとは比べ物になりませんね。

知りたいことを知ることは自分が深まる気がしますが、未知の分野の知識は自分が膨らむ感じがします。

感覚ですけど。

山の日はいらん!

本日、8月11日が「山の日」として国会で可決してしまいました。
2016年から施行されるとのこと。

どう考えてもいらん。
制定に動いた理由も理解に苦しむ。
特に、「海の日」があるのに「山の日」がないから、なんてのは、、、小学生かっっ!
こんなことで、議員連盟なんかつくるんじゃないよ!まったく、と思います。

そもそも「海の日」もいらん。
「山の日」よりはましな理由「海洋国家として広く国民に海への理解と関心を求める日」があるが、現実は海水浴などの行楽の日じゃん。

10年くらい前に、NPOやボランティア等の公益団体の活動促進と、市民の公益運動参画を求めて、阪神淡路大震災の1月17日を「ボランティアの日」として祝日にしたらどうかという提言書をつくったことを思い出しました。

どうぜなら「ボランティアの日」にして欲しかったな。
もしくは「環境の日」とか。
いづれにいても、制定理由に基づいたイベントが各地で執り行われ、今後の日本の文化、慣習となっていくような祝日じゃないとダメでしょ。

ま~、もうこれ以上の祝日はいらん。
でも、「ボランティアの日」ならいいかな(笑)

現状の捉え方

昨日、テレビ「ザ!世界仰天ニュース」で栃木県千振地区の歴史についての放送がされ、旧満州から引き上げてきた人々の厳しい状況と新たな開拓の様子が見て取れました。
困窮と苦難は非常に厳しく、それを乗り越える精神は立派なものでした。

しかし、たまたまですが、今読んでいる本が「収容所から来た遺書」というノンフィクション小説でした。
この小説は、敗戦後にソ連に抑留された日本人の半端ではない苦難が綴られています。


もちろん、千振地区の方々の苦難も、今のわたしには耐えられないであろう厳しいものです。
しかし、抑留者の悲惨さは比べものにならない。

人間は常に主体的であり、相対的にものごとを考える。
つまり、相対比較の中で最低であると思えば最低であることが自己決定されるのである。

千振のみなさんと小説の主人公達に共通することは、不屈の精神と明日への希望をもつことの重要さです。

今の自分の現状がいかに不幸か、いかに悲惨か、いかに不合理か、、、などと考えること自体に意味がないように思えてきました。
幸せの尺度は、比較の中ではなく己の中にあり、その尺度の定義も内容もそれぞれ異なります。

自分の尺度をしっかりと持った上で、相手や社会の尺度とバランスをとることが肝要だと改めて思いました。