今年の2月末から小学校へ行けなくなった娘。
引っ越しをして、転校し、頑張っていたけど、行けなくなりました。
担任にも電話して状況を説明しても無理でした。
学校の先生やスクールソーシャルワーカー(相談員)、教育委員会の方々と話しをしてきて、私が判断したのは、
「こんな学校、無理して行かなくても良いんじゃない」
でした。
春くらいまでは、「今は休んで良いけど、いつか学校に行けると良い」と思っていました。
でも、
話し合いをするたびに「なんだそれ」という回答が多く
(例えば、いじめについて道徳など授業で話し合いを本当にしているのか?という不信感や、娘が学校へ行けなくなったのは、娘自身に要因があり、コロナの影響もあり、学校側は何も悪くないの一点張りなど沢山の対応です)
もう、本当にガッカリの連続だったので、私自身が出した決断は、
「こんな学校なんて行かなくていいわ」
「勉強できる状態になったら家で勉強すればいい」
「無理に学校へ行っても人間が壊れるだけだ」
というモノでした。
本当にガッカリで、悲しくて、ショックでした。
しかし、
娘は私と同じ決断をしませんでした。
「私は本当は学校へ行きたい」
「でも、怖くて行けないだけなの」
これは、今でも言います。
学校の先生もクラスの子も怖くて行けないんだそうです。
それならと、今は引っ越しする前に似た環境の学校へ転校できる許可があの手この手でようやく降りているので、
その学校へ見学したり、玄関で保健室の先生と会ったり、ゆっくりですが前を向くようになっています。
(余談ですが、電車に怖くて乗れないという場合も信頼している人と一緒に乗る練習をすることで乗れるようになるという、行動療法を私の中で娘としている感じです)
私が言いたいのは、親と子供の気持ちが必ずしも一緒ではないという事です。
きっと、娘は私が想像していない判断をしてくるのだろう、と思っていたので、時々娘に確認したり、娘から娘の状況を伝えてくれたので、
娘の状況を知ることができたし、娘の意志を尊重しやすかったですが、
親の気持ちが大きくなりすぎると、子供の意志と反対の方向に行きやすいとは思いました。
ただ、私も苦労したのが、学校の先生、スクールソーシャルワーカー(相談員)とのやり取りです。
本当に大変です。
何が大変って、あの方々は、きっと自分が正しいと思っているんですね。(そう思わないと教員なんて出来ないかもしれないけど・・・)
だから、自分の枠から自分の想定外のことをすると、困った人扱いしてくるし、拒否、否定してきます。
そうなると、大きな壁を作るので、進むモノも進まなくなります。
親は学校と相談員の対応だけでいっぱいになりやすいし、子供が不登校になり学校とのやり取りの中で親御さんが心身ともに非常に疲弊しやすいです。
今は共働きも多いと思うので、負担はかなり大きくなることが想像できます。
小学生の不登校は今は全国の0.8%しかいず、支援も非常に少なく、選択肢も非常に少ない状況です。
その中で情報を集めることは容易なことではありません。
親の負担も大きいので、親と子供の違いに気づきにくい状況にはなりやすいと思います。
私だって、色々気にかけながら過ごしていますが、今している事が本当に良かったかなんて、わかりません。
今出来ること、娘の気持ちを言葉と行動で確認しながら、様子を見ながら手探りでしている感じです。
周りは色々想い、色々想像するかもしれませんが、
温かく見守っていて欲しいと思います。
ブログでよく書いている「ゆたぽん」についても同じことが言えます。
「ゆたぽん」は学校の先生と合わず、学校に行ってません。
きっと、大人にガッカリしたのではないか?と思います。(傷ついた状況だと思っています)
沢山の方々が、「親の責任」のようにコメントします。
確かに、コメントの言うことも一理あると思います。
でも、私自身も学校や教育委員会にガッカリした人間なので、「ゆたぽん」の気持ち親御さんの気持ちが少しわかるような気がします。
この記事も↓なんのために記事にしたか?知りませんが、大きな迷惑だし、余計なお世話で、話しが大きくなるばかりで、本質が見えにくくなりやすいと思います。
たぶん、専門でなければ知らないことが多いと思うので、
学校、教育委員会と子供、親の問題なので、適切な事が出来ないのであれば、見守って欲しいと切なる想いです。
そして、不登校は不幸で可哀そうなことではありません。
起きた出来事は非常に大変なことですが、それでも、試行錯誤しながら一生懸命です。
昼夜逆転を直すのもとても大変なことです。
本人が一番今の状況をどうにかしたいと心から想っています。
だから必死です。
でも不幸ではありません。
一生懸命です。
そこの理解を心から願いたくて投稿します。
すこしでも、ほんのちょっとでも不登校の子供達が過ごしやすくなるために・・・・・