親子で教員イヤイヤ病②の続きです。
コロナウイルスで休校になり、確か6月から休校が明け通学し始めました。
通学して一か月も経たずに娘は熱を出しました。
足や腕に発赤がでて、広がっていき、熱もなかなか下がらず入院しました。
医者からは、発熱からアレルギー反応みたいになり発赤が出ていると説明を受けています。
小さい頃からアレルギー気質なところがあったので、いくつかの病院で検査してもらいましたが、マイナスで・・・・
その時の医者からは、「症状としてアレルギーを疑うものはあるけれど、検査でマイナスとでている現状だ」と言われたことがあります。
食べ物のアレルギーは2歳くらいかな?
疲れてくると発赤が出たりしていたのですが、検査してもマイナスで、大きくなるにつれてその症状も無くなっていたので経過をみていました。
(ねこアレルギーみたいなのはあって、ねこを飼っているお家にいくと目が赤くなっていたのでアレルギーの目薬をして落ち着いていました)
アレルギー症状は疲れが強いと出てくる印象を私自身持っているので、
その時思ったのが、子供の「疲れている」という言葉から学校を休ませておいて良かったと思いました。
担任の先生もそれから学校を時々休んでも何も言わなくなりました。
ただ・・・・・
先生と娘が合わず、先生に対する愚痴を頻繁に言い、先生に対して不満を言うようになりました。
ちょっと心配になって、娘が宿題を学校に忘れたことがあったので、そのことを聞くために電話して、娘の状況を聞いてみました。
すると、先生は
「何もないです。変わりありませんね。友達とも遊んでいますし」
と言ってきました。
その後に、確か・・・・
「先生と2人で話しした時、先生の提案する意見を伝えても娘は良い顔をしなかった」と聞いたと思います。
なので、「娘は頑固でプライドも高いとところがあるので、相談して決めてもらえますか?」と言いました。
娘から聞くと、先生の意見ばかり通して、まったく自分の意見が通らないことが多く不満満載で、以前の学校ではそんなことがなかったので、
「大人なのに、子供の話くらい聞いてよね」
と、怒っているのを記憶しています。
この時の私の印象として、先生は生徒の特長を捉えていず、淡々と学校生活をしている印象があります。
なので、娘の特徴として説明したのですが・・・・・
この効果は無く、変わらない学校生活を送っていたようです。
私自身も先生と話ししていて、疲れる印象があります。
私の話しを理解したくないのか?理解できないのか?解らないのですが、
説明しても先生の意見が強く出ていて、「ですから」と強めに説明した記憶があります。
この状況を見て娘が
「私が大変なのが解った??」
「いつもこんな想いをしているんだよ」
「イヤになるでしょ?」
と言っていたのも印象深く残っています。
この先生と合わない状況から娘の友達とのトラブルが増えてきます。
先生とも合わず、コロナで学校内の動きを制限され、娘の逃げ場や助けを求めるところが無くなっていきます。
それでも、少し気の合う友達と一緒にいたり、男の子と遊んでいたようです。
しかしある時から休むことが頻繁になってきます。(友達とのトラブルです)
休むことが多くなってくると、以前の学校だと先生から連絡があったので、説明していました。
休む時に学校に提出する紙があって、息子に頼んで渡してもらったことがあったのですが、その時の先生は大きなため息をつき、「わかりました」と言っていたようです。
それでも先生からは連絡なく、私も先生に「娘と相談してください」と強めに電話した後だったので、自分から連絡するのも気が引けて、電話しようか迷っていました。
娘はどうしたらいいのか?図書室にある本を読んで友達関係の悩みを解消しようともしていました。
でもね・・・・・
小学4年生でどこまで理解できるか?がとても問題で。
書いてあることは理解できても、実際行動にするには難しい感じでした。
この時は出来ることをしていく。
そのことを娘も私も意識していたと思うし、娘自身も何とかしようと希望を持っていたので、様子をみていました。
(このことは、何か月か前のブログにも書いてあったと思います)
次回は秋くらいにお友達から
「転校してこなきゃよかったのに」など娘の悪口を言っていると他のお友達から聞かされたり、
「服をピンの伸ばしてお腹がどのくらい出ているのか見せて」とか体型のことなどを言われるようになります。
「状況が悪化してきたので、学校へ連絡した方がいい」と主人が言い、学校へ連絡してもらいます。
私は通信大学の実習があり、大変なので主人に任せたのですが、ここでも先生の理解できない行動がみられるようになります。
この辺のことも書いていこうと思っています。