1973年12月発売の曲。
作詞・作曲:小坂明子さん。
1974年の年明け早々から大ヒットでした。
なんと、165万枚に迫る売上。
ベストテン番組でも毎週のように1位で登場していたのを覚えています。
この年の紅白歌合戦にも、この曲で出場なさっていましたね。
もしも私が家を建てたなら
という印象的なフレーズそしてメロディーで始まるこの曲。
「建物としての家」をつくる話というよりは、いとおしい人との「家庭」をつくる夢を語った少女の歌。
若い世代の女性が夢見る、一つの典型のような「家庭」の情景。
(今はどうかは自信ありませんが)
男性が描く家庭像とは、ちょっと随分
違うかも知れませんね。
でも。
この曲をあらためて聴いてみると、一番の歌詞では「私の夢だった」とありますが、二番の歌詞には「二人の望みだった」とあります。
ある時点ではお互いに家庭についての夢を語り合い、共通の夢を確認しあっていたようです。
だけど、ひょっとしたら。
男性側には思い描く将来の家庭像などというのはなく、女性側の夢に対してただ相槌を打っていただけだとすると。
いとおしい人と同じ夢を抱いていると信じていた少女は悲しいですね。
言葉の上では同じだと思っていても、意識の奥底の生じていた男女の意識のズレ。
何もこれは男女の間の話だけではなくて、おしなべて人と人の間の話だと言ってもいいのかもしれません。
と言ってしまうと、身も蓋もありませんが、意識にはズレが生じるものだという前提にたてば、また処し様もあり、いい結果に繋がれば喜びもひとしお、ということになるのだろうと思います。
思うようになったりならなかったり、悲喜こもごもなのが人の世なのでしょう、
とお話できるほど現状ではまだよくわかっていません。。。
小坂明子さん、ピアノを弾きながらこの曲を熱唱なさっていましたね。
イントロからもう感動的。
ゆったりとした前半の部分から、最高潮のラストに至るまでの曲の劇的な流れは、実に聴き応えがあります。
今、この曲が世の中に出てきたとしたら、当時と同じように大ヒットするのかということには自信がもてないのですが、私の胸には何か迫るものがあるのは、当時も今も変わりはないようです。