先に記事にした「かけめぐる青春 ビューティ・ペア 」に関連した、新聞記事を見つけましたので、ご参考までに転載します。


1977年5月20日の新聞記事。


===以下、新聞記事===


テレビ人語録 吉田斉氏 ワイドプロモーションプロデューサー


ヒットは意外な形で


女子プロレスのビューティ・ペアに「かけめぐる青春」を歌わせた男である。


「マッハ文朱がやめたあと急いで代わりのスター作りにかかったんです。取りあえず、柄の大きい子を二人選んで歌わせてみることにした。それが去年の十月。二人には恥ずかしかろうと客から笑われようと怒られようとリングの上で必ず歌え、といいつづけました。彼女たちもレコードをかかえて客席を売り歩きましたよ」


_ヒットしたのは、その努力のおかげですか。


「いいえ、デビューの時はだれでも必死なんですよ。女子プロレス自体、二年前に中継をはじめてから視聴率が一〇%を割ったことがない。潜在的なファンの期待があった証拠でしょう」


_女子プロレスというと低俗番組の代表のようにいわれ続けてきた。
テレビ中継がフジ系が独占の形になっているのも、その他の局がしりごみしているからではありませんか。


「たしかにキャバレーのストリップまがいという見方はありますよ。しかし、実際の選手はみんな若くてきまじめなんですよ。毎朝六時から二時間のロードトレーニングも欠かさない。それに最近はどこへ行っても客は若い中学生ぐらいの女の子がいっぱいだ。これは第二の”タカラヅカ”に育つ可能性があるとさえ思っているんです。」


五年前、山本リンダに「どうにもとまらない」を歌わせた。
ヘソを出し、体をくねらせて歌う身ぶりが客を喜ばせ、これがきっかけで、テレビは歌うよりまず見せる歌謡曲のはんらんとなった。


「今年中にあと二人スターを育てるつもり。近ごろスターの寿命は短くて、せいぜい二、三年ですからねえ」


三十八年、フジテレビに入り、外国映画の吹きかえ、音楽番組、ドラマ番組を手がけ「よろず相談屋」を自称している。


「何がヒットするか全くわかりませんね。リンダも中年向けをねらったのが、まず子どもに受けたし、ビューティ・ペアも男性向けのつもりだったんですが...」という。


コロンビアカレッジ・テレビ演出科卒。四十歳。(洋)


===以上、新聞記事===


「ビューティ・ペア」、そして「かけめぐる青春」の誕生のエピソードが語られていますね。


それにしてもビューティ・ペアの「かけめぐる青春」をプロデュースした人が、山本リンダさんの「どうにもとまらない」をプロデュースした人と同じだったとは、ビックリする一方で、言われてみればなるほどと納得したり。


思わぬところで人気が出る、というのはブームとか流行という現象の面白さですね。