昨日の記事 に関連して、また別の新聞記事を転載します。


1977年10月19日の新聞記事。


===以下、新聞記事===


いまアニメにかける
ロカビリー、映画、芝居・・・
佐々木功


演歌、ポップス、フォーク、ロック、ニュー・ミュージック...。
日本人は音楽のジャンル分けが好きだ。ならば、歌の世界に「アニメの歌」というのがあってもいいのではないか。


「宇宙戦艦ヤマト」の大ヒットで久々に脚光をあびている佐々木功が、えらく張り切っている。三十代にはなつかしいロカビリー歌手。”和製プレスリー”の異名をとり、日劇のロカビリー大会などで当時のヤングをわかせていたのは、三十五、六年ごろ。

ロカビリーが下火になった。ヌーベル・バーグの波に乗って映画祭へ。
それも下火になって、ロックを歌い、ミュージカルをやり、金子信雄の劇団「マールイ」で芝居もやった。不良役でテレビドラマも_。
いまは、声優として、中、高校生やかつてのロカビリー・ファンの二世たちに”アニメの佐々木”として半ば偶像視されている。


芸能界は移り気だが、佐々木自身は、いま「歌にしても映画にしてもぼくには基礎がなかった」と素直に認める。そして「世の中が、ぼくを必要とするからには、自分にできる何かがなければならないはず。世間はボクのヤマトを認めてくれている」という。
アニメの初仕事は、四十六年の「宇宙戦隊ガッチャマン」。「海のトリトン」、「宇宙戦艦ヤマト」とともに、中、高校生の間では、アニメの三大傑作といわれ、ニヒルなコンドルのジョーのアテレコだった。声優としてはこの一本だけだが、以降、アニメの歌を歌い続ける。テレビ番組の主題歌だけで三十曲。そう入歌やレコード化するための歌などを入れると百曲に及ぶ。


「マンガの歌とバカにされました。レコード会社の扱いだってひどいもんでした。でも、アニメの歌は、大宇宙の中の人間のロマンをうたい、男の友情のすばらしさをうたっているんです。人間が生きていくということはどういうことかをテーマに。好きだ、愛だと歌っている歌謡曲とは歌のスケールが違います」。
いま、自分にできる「何か」に対する自負心は大変なもの。


先月の「ささきいさお/アニメロマンの世界」に続いて、近くの「科学忍者隊ガッチャマン」のLPを出す。その中の「さらば友よ」、「一緒に歩こうこの道を」の二曲は、佐々木自身の作詞、作曲によるものだ。


===以上、新聞記事===


確かに、「宇宙戦艦ヤマト/真っ赤なスカーフ」の曲の大ヒットをきっかけに、それまで「子ども向け」として軽く見られていた「アニメ」や「特撮」の音楽が市民権を得たような印象がありますね。


特に、子門真人さん、水木一郎さん、佐々木功さんの「御三家」は人気が出たと記憶しています。


佐々木功さんがゲスト出演(悪役)で時代劇に出ていたのを観ましたが、これは貴重な視聴体験かも。


音楽にしろテレビ番組にしろ、「子供向け」として「バカ」にされていた時代があったなんて、今からは想像もつきませんね。


むしろ今は、例えば「平成仮面ライダーシリーズ」をきっかけに、スターダムに駆け上がっていこうとしている方もたくさんいらっしゃいますから。


その「スター」の一人が、オダギリ・ジョーさんですね。
今は「クウガ」とはイメージが違いますが。
あっあせる「時効警察」は少し「クウガ」のイメージがあります。


注意記事が乱れていましたので、本日(5月11日)編集しなおしました。