このテレビオーディション番組の草分けにして長寿の人気番組については、多くの方が記事にしていらっしゃいますので、例によってこの記事では個人的なことを記します。


毎週楽しみにしていたし、実際楽しい番組だったはずなのですが、今この番組について思い起こされるのは、人生の悲哀のようなものばかりです。


このため、この記事のトーンは比較的低いものになってしまいますので、楽しい記事を期待される方はこれ以降の記事はお読みにならない方が良いかも知れません。


この番組が放送されたのは日曜日の朝(11:00~55)。
放映開始当時の日曜日はどちらかというと落ち着いた雰囲気の番組が並んで、誤解を受ける表現かも知れませんが、若者、特に10代の人にとっては刺激のある番組がなかったように記憶しています。


実際、私の家では、8時台に「時事放談」を観て、9時台にNHKの政治討論番組を観て、それぞれ軟鋼ありますが、お子さまだった私には、それなりの楽しみをこの二つの番組に見出してはいたものの、やはりもう一つ満たされないものがありました。


そこへ、このオーディション番組の登場。


芸能界とは遠い世界だと思ってきた、10代の青少年にとって、ブラウン管の中で芸能界への扉が開かれる様を見て、心が躍るような気分でこの番組を観たことでしょう。


実際私がそうでした。この番組に出場して芸能界に入ろうとまでは思いませんでしたが、ごく近所にいそうなお兄さん、お姉さんがこの番組に出場し、芸能界への切符を獲得しようと挑んでいる様を自分のことのように胸を震わせて観ていました。


出場者には、審査員の先生から比較的厳しいコメントが出されます。
芸能界の世界がどれほど厳しいのかは今でも想像がつきませんが、単に憧れだけではやっていけない、ということをこの時点で諭しているようでもありました。


合格者が出ると欽ちゃんが「バンザーイ!」とやっていましたが、毎回合格者が出るとは限らず、全員失格の場合は「バンザーイ!」といったん両腕を上に上げたあと体をくねらせて「無しよ」とやっていましたね。私の記憶では「バンザーイ!」と「無しよ」の間に、「は」という言葉が入っていたような気がしたのですが、ウィキペディアさんの記事では「は」は入っていませんでしたので、記憶違いだったようです。


この時には会場もそうでしたが、私もがっかりしていた覚えがあります。


そして合格者が集まって決戦大会が開かれるのですが、ここでスカウトマンからプラカードで指名されれば、晴れて芸能界入りの切符を手にすることになります。

一人に多数のプラカードが上がる人もいれば、全くプラカードが上がらない人もいて、厳しい本選を勝ち抜いてきた人も、悲喜こもごもでした。

一人ぐらいプラカードを上げてもいいではないか、と観ている私は思ったりもしましたが、ここで諦めがついてむしろ良かったのかも知れません。


芸能界デビューをしたらしたでまた厳しい現実が待っています。
忘れられないのは男性歌手のAさん。
この番組からデビューした歌手ということで、番組の中で売り出そうとしたのだと思いますが、演歌歌手のAさんは、同じくこの番組出身のポップス系アイドル歌手Bさんとペアで登場することが多くありました。


でも、会場の観客が注目するのはアイドル歌手のBさんの方。
ある時、Bさんがアメリカンフットボール選手のユニフォームを身に纏い、ボールを小脇に抱えて登場すると、場内では割れんばかりの大歓声。
次にAさんが野球のユニフォームに身をつつみ、バットをかついで登場したのですが、場内は水を打ったような静けさ。
Aさんにとっては、なんと厳しい洗礼でしょうか。


この時に限らず、ほとんど毎週のようにこのパターンがくり返されていました。


Aさんを売り出そうと思えば、言葉は悪いですが、ファンの方を何人か募って、観客の中に入れておけば、先に上げたような辛い状態にはならなかったように思います。
売り出し方に失敗したかどうかは明確には言えませんが、Aさんは程なくして姿を消してしまいました。


芸能界という特別な世界ではありましたが、この番組を観て人の世の厳しさを追体験できたようにも、今振り返ると、そう思います。


「いっそのこと歌手になろうか」と半ば冗談で考えた時期もありましたが、好きな音楽を好きな時に聴いて、歌って、お気軽に記事を投稿している今の私は、ある意味、ささやかながらも幸せ者なのでしょうね。


注意編集ミスがあって、文が前後していた箇所がありましたので、4月15日に編集をしなおしました。