先ほどの記事 に関連して、布施明さんに関する新聞記事を見つけましたので、以下に転載します。
1977年3月12日の夕刊記事。
===以下、新聞記事===
問題児
会社の企画にためらい
自分の歌を求めて悩む
レコードを出せばよく売れる。リサイタルを開けば必ず客も入る。売れっ子なのに本人は、自分が納得できる歌を求めて迷い、悩み続ける。そんな流行歌手はレコード会社やプロダクション泣かせに違いない。
芸能界の貴公子とかプレイボーイといわれてきた布施明にもうひとつ「問題児」という知られざる異名があるのはそのせいである。売れっ子だから会社はいろんな企画を出してくる。が、本人は容易に乗ろうとはしないのだ。四月に一年半ぶりのLP「そろそろ」を出すのだが、一年半もレコードを出さないということは、この人クラスの人気と実力派としては異例のことだという。
「歌いたい歌はたくさんあります。人生を歌ったものなんか。生意気にも”マイ・ウェー(原文ママ)”(四十七年)なんか歌ったこともありましたが、ほんとうはあと二十年もしないと歌えないものだと思うんです。アズナブールやぼくの好きなロッド・マッケンの人生っぽい曲、聴くと恋の歌でも恋をなつかしんでる。ぼくはまだそんな年じゃないんですよ。中途半端なんです」
二十二年生まれで、デビューしたのが十八歳のとき、二十五を過ぎたころから、自分の歌いたい歌と中途半端な年齢のギャップを感じ続けているというから踏み込んだ迷路は長い。
が、それでいてヒット曲は確実に出る。「甘い十字架」(四十八年)、「積木の部屋」(四十九年)、「シクラメンのかほり」(五十年)、「落葉が雪に」(五十一年)。この安定度からすると、より深刻なのは、やはり、売れるのに歌いたがらない布施明をかかえたプロダクションでありレコード会社というべきだろう。
中途半端な布施明が歌手という職業で歌い、ファンに受けている歌___。
「人生を歌える年でもないとしたら、若さみなぎる歌かもしれません。でもいまや反戦の歌でもないわけで、幸か不幸かぼくは独身だから、一人でいる男の女々しさを歌っている」
去年のヒット曲「落葉が雪に」がそうだという。この人自身の作詞・作曲でレコードになったはじめての歌。「五杯が限度かなぁ」とか「田舎があるやつはいいよなぁ」なんてつぶやくウィスキーのテレビCMで受けた。あのCMに出てくる布施明がまさに今の彼自身だ、とつぶやくのである。
四月にレコードになる「ひとり芝居」も自分を歌った自作のもの。目指すものに向かって脱皮できないウツウツとしている自分が、いつもおどけているポスターのピエロをうらやんでいる。寝る前の一時間は音楽を楽しむことにしている慣習の中から生まれたこういう歌が、もう百曲にもなる。
「二階は両親と姉が寝ているので、曲作りはどうしても小さな音になってしまって。だから盛り上がらない、しょぼい歌ばかり」だそうだ。
今は自分を歌っているが、講釈師のごとく詩を書き、メロディを作って第三者を歌えるようになれば、自分の歌にも広がりが出てくるに違いない。だが、作詞家でない自分はとてもプロにはかなわない。
いや、いい歌を作るということはいい歌を歌うことだ、歌のよしあしはどう感じるかによって決まるものだから。
いろいろ思い悩む二十九歳の布施明。この人の”悲劇”は、唯一の趣味を職業にしてしまった点にあるようだ。歌が好きなのである。それを趣味として残しておけば、自分から悩みを作って悩まなくてなくてもすんでいた。
「ことしは暮れにもう一枚LPを出す予定です。悩み解消のためにそうさせてもらいます」
暮れに出すLPは、普通、それまでの歌を集めて作る”編集物”。布施が出すのは、恒例の編集物に抵抗して自分が中心になって制作しようというもの。
わがままが通じる問題児なのである。
===以上、新聞記事===
順調な歌手生活のように見えていましたが、ご本人は悩み続けていらしたようですね。
趣味を仕事にしないほうがいい、とはよく聞かれる言葉ですね。
「しょぼい」という表現は、最近のはやりですが、今から30年前でも使われているのにビックリ
結果を出せば「わがまま」が通用するのはどこにでもある話ですね。