昨日の記事 に関連した山口百恵さんの記事を見つけましたので、以下に転載します。
1977年1月17日夕刊記事。
===以下、新聞記事===
いたわりたくなる風情 推す人 井上ひさし
うちでは、三人の娘がみんな、この人のファンで、LPなんかもたいてい持っているし、ぼく自身もこの人が主演するテレビドラマ「赤い衝撃」(TBS系)をよく見るんです。
ひと口に言えば、日本の女性の原点みたいなイメージですね。柳腰で、弱そうでいて、実はからだが強い。印象としては路地裏のオミナエシ。なんとなくいたわってあげたくなるような感じで、守ってあげなくてはなどと思っていると、いつのまにかこっちの方がガンジガラメになってしまう。受け身で自分の一番ほしいものを手に入れるというマイナスのバイタリティーの持ち主でしょう。
歌もうまいですよ。でも、この人のレコードをくり返し聞いてわかったのは、山口百恵の歌に一貫しているのは、待つ姿勢、耐える姿勢だということです。これはたぶんに千家和也氏のテーマのせいですが、要するに、「愛は尊い」という処世訓を持っているごく当り前の女の子がいて、ひたすら男の愛がやってくるのを待っている。男は来て、去っていくけれど、女の子は”愛はきっとまたもどってくる”と耐えながら待ち続ける。つまり、すべてが他力本願のマゾヒズムなんです。金でも愛情でも、全部自分がよりかかる対象から与えられるはずだという態度ですね。
どうしてこういう歌がはやるのかといえば、今のわれわれ日本人が、自分では何も持たず、何もせずに、ただ待っているからではないでしょうか。百恵の登場が、石油ショックの前後だというのは、どこか暗示的です。自分では行動せず、もうダメだと思いながら、何かを待っている時代の歌謡曲なのです。そこにあるのは英雄待望感だし、ファシズムを受け入れる素地でもある。これに呼応して、”おれに任せておけ”なんていう歌が現れないことを、ぼくは心から祈りますね。___などといっても、わが娘たちは全然この批判を受け入れないですね。今日も、”そんなにブツブツいうなら、LP返せ”と怒られました。
山口百恵
昭和三十四年 東京生まれ。昭和四十八年、「としごろ」でデビュー。
ヒット曲に「青い果実」「ひと夏の経験」「横須賀ストーリー」など。
森昌子、桜田淳子とともに”花の高3トリオ”の一人。
===以上、新聞記事===
作家らしい百恵論。ただし、新聞記事にもある通り、山口百恵というよりは、千家和也さんの詩の世界観ですね。デビュー曲の「としごろ」から「愛に走って」まで一貫して山口百恵さんに詩を提供してきましたし、「横須賀ストーリー」で初めて他者(阿木燿子さん)に任せましたが、その後「パールカラーにゆれて」「赤い衝撃」では再び千家和也さんの手に戻っていますから、この記事が新聞に掲載された当時は、「横須賀ストーリー」の大ブレイクはあったものの、まだ、山口百恵さんの世界=千家和也さんの世界、とイメージが強かったのでしょうね。
山口百恵さんの歌が流行する要因について、分析をなさっていますが、これは少し頭でっかちなような感じがします。
なぜならば、この後に、作詞:阿木燿子さん、作曲:宇崎竜童さんの楽曲による、「イミテーション・ゴールド」「プレイバックpart2」「絶体絶命」など、千家和也さんとは対照的な世界観を表現したような歌が大ヒットし、むしろこちらの方が山口百恵さんの主流的な世界観だとする方も多かったですから。
「守ってあげたくなるような女性」というよりは「強い女性」。例えがよくないかも知れませんが、フランソワ・トリュフォーの映画に出てくるような女性像。やっぱり、たとえがよくありませんでしたか
「ひたすら待つ女性」。これは男性が勝手につくりあげた女性像だとしばらく思っていましたが、その後「あみん」の「待つわ」の大ヒットで、世の中どうも単純ではないことを知りました。
余談ですが、この記事が掲載されたのは、百恵さんのお誕生日の夕刊ですね。