ほかにもご紹介したい曲はたくさんあるのですが、時節柄ということと、この曲をきっかけに村下孝蔵さんの
歌を聴くようになりましたので、まずは「春雨」から。
1981年1月発売の曲。
作詞・作曲:村下孝蔵さん。
前の年(1980年)に「月あかり」でデビューしたけれども、あまり注目を受けず(私も当時知りませんでした)、なんとか多くの人に聴いてもらおうとして作ったといわれるのが、この「春雨」。
当時のインタビューは「ともかくも曲を聴いてもらうために、まずは、注目される曲をつくった」という内容だったと記憶しています。
表現が誤解を受けるかも知れませんが、「こてこて」の叙情派フォークソング。
1980年代に入ると、叙情派フォークがどんどん駆逐されていった音楽界でしたから、むしろこの「春雨」は音楽界の流れに逆らうような曲調で、逆に新鮮な感じを受けました。
心を編んだセーター 渡す事もできず
このフレーズは、「北の宿から」の
着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます
の世界に共通していますね。
淡谷のり子さんが、「北の宿から」のこのフレーズにいい印象を持っていないことを示すコメントをなさっていらしたので、もしこの「春雨」をお聴きになっていらしたら、同じようなコメントをなさっていたかも知れません。
脱線してしまいました。
想いを寄せる人が、夢を実現するために、都会へ行ってしまった。
そして、その人は心変わりをしてしまったようです。
だけど、その人に対して想いを捨てきれない。
二度と会わないわ いつかこの街に帰って来ても
決別を覚悟したようです。でも。
電話の度に サヨナラ 言ったのに
どうして最後は黙っていたの 悲しすぎるわ
想いを寄せる人が、最後にサヨナラ言ってくれれば、気持ちの整理が出来たのに。
さて、これはどうでしょうか。
ますます、想いが残ってしまったかもしれません。
これは何とも言えませんね。
同じモチーフを歌にした曲はたくさんありますが、例えばやしきたかじんさんの「大阪恋物語」。
これは、想いを寄せる人の夢が叶うことを願って、その夢が実現するまでは身を引くというものです。
「春雨」とは対極にあるような作品世界。
さて、自分がその境遇に置かれたらどう思うか。
難しそうですね。「春雨」の世界かも。
後年、村下孝蔵さんのコンサートの様子が、テレビでよく放送されていましたね。
ある放送で、こんなシーンがありました。
曲の合間に、ちょっとしたおしゃべりがあるのですが、以下のような(一字一句正確ではありません)ものがありました。
「最近のコンサートでは、お客さんが”総立ち”しているらしいのですが、僕のコンサートではお客さんはお行儀よく座っているんですね。」
これは、本来なら笑うところなのですが、「朴訥」「生真面目」な印象の強い、村下孝蔵さんが、まさか、笑いをとる言葉を発するなんて、会場の方々は思ってもいなかったのでしょうか、場内は水を打ったように静まり返っていました。
ある意味、村下孝蔵さんのお人柄を示すエピソードだと思っています。
「春雨」の曲に流れる、むせび泣くような弦楽器(バイオリン?)が、切ないですね。