1977年11月発売の曲。
作詞、作曲、多数。というより、あったものではないですね。
「演歌」を中心とした流行歌のメドレーが延々と続く曲。
「演歌を中心とした」と記したのは、基本的には「演歌」のメドレーなのですが、その「演歌」の中には、戦前・戦中・戦後(1950年代頃まで)の、「演歌」というジャンルとは言いがたい「流行歌」、いわば「懐メロ」として知られている曲が多く入っているからです。
手元にこの曲を録音した媒体もありませんし、歌詞カードも持っていませんので、記憶だけを頼ってその一部をご紹介します。
花咲き花散る宵も銀座の柳の下で(東京ラプソディー)
チャーンカ ラチャチャチャ(演歌チャンチャカチャン)
持って生まれたさだめまで(おゆき)
チャーンカ ラチャチャチャ(演歌チャンチャカチャン)
あの人と別れた理由(わけ)は何でもないの(理由(わけ))
チャーンカ ラチャチャチャ(演歌チャンチャカチャン)
今では指輪もまわるほど(くちなしの花)
チャーンカ ラチャチャチャ(演歌チャンチャカチャン)
というようなイメージですね。
曲の順番には自信がありませんが、このフレーズが入っていたことは確かだと思います。
この延々と繰り返される「演歌」のメドレー曲が、大人気になり40万枚を超える大ヒットになりましたね。
平野雅昭さんは、一躍時の人になって、ドラマにもワンシーン出演するなど引っ張りだこでした。
この曲を聴いて、あるタレントさんが「こんなの誰でもできる」と息巻いていましたが、同時に「この世界、最初にやったものが勝ちなんだよね」とも認めていました。
いわゆる「先行者利益」のようなものでしょうか。
ブログの世界でも似たり寄ったりですね。
所詮人の考えることは、それほど違いは無く、自分のオリジナルだと思って記事を投稿すると、実はもう既に誰かが記事にしていたりして、後で似たような内容を記事にすると盗作呼ばわりされる可能性もあると思います。
膨大な量の情報を全て調査することは、プロならともかく個人の余暇でやっている限りは、まず無理です。
ですから、私の記事では、ことさらに「オリジナル」を強調することはしませんし、「夢想程度のもの」という表現をとっています。
話がそれました。
私は、いわゆる「懐メロ」に興味をもって、同世代の中ではたくさんの「懐メロ」を知っている部類のようです。
それには色々な要因がありそうですが、今思えば、この曲のヒットが一つの大きな要因ではないかと思っています。
なぜなら、この曲のフレーズの原曲が何か、ということを一つ一つ調べましたから。
例えば「緑の地平線」などは、この曲を通じて知りました。
話は変わりますが、昨日の記事 で今回の記事を予想していた方もいらっしゃるかも知れませんね。
モノマネメドレーの次が、演歌メドレー。
と来るとその次は
と大きなヒントを残して、ごきげんよう~
わたし しっちゃかめっちゃかだー(演歌チャンチャカチャン)
この記事の続編はこちら
にありますので、是非ご覧下さい。
不明だった点がかなり解決されています。