ここにきて、受験勉強を続けることについて少し考えています。



去年9月に不合格を食らってから、1年間専業で親から生活費の支援をもらいながら、



受験勉強をしてきました。



2012年の司法試験は、直前期に母親が亡くなってしまい、



満足に勉強できなかったので、非常に悔いが残るものでした。




2012年~2013年司法試験までは、必死で勉強しましたが、



2013年では、実力はある程度出せたものの、納得のいく答案を書くことができませんでした。



その意味で、2013年司法試験は大変悔いの残るものでした。



なので、もう一度司法試験にチャレンジすることにしました。



そして、この9月から司法試験まで、




敗因分析を必死にしつつ、司法試験の受験勉強をしました。




2013年9月~2014年司法試験までの最大の敵は、




まさに自分自身でした。




なぜかといえば、過去二年と違って勉強量が伸びなくなっていたのです。




なんとか、週50時間前後をぎりぎり維持する程度でした。




自分の感覚としても、以前以上に自分を追い込んで勉強することができなくなってきている気がします。




これは体力や気力が衰えたわけではなく、、司法試験の勉強に飽き、情熱が低下してきたことに原因があると思っています。弁護士にはなりたい気持ちは全く萎えていないのですが、受験生活の長期化による悪弊が現れてきているのだと思います。



自分としては、新しいものに手を広げず、効率的に勉強する方法論を確立できてきたとおもっていますが、半面長時間勉強することができなくって来ているのです。



とはいえ、九月から司法試験まで最低限の勉強量は確保できた。



その意味で、今年一年は、勉強の効率と学習量の双方を確保できたギリギリの年だった思います。



自分としては、納得いく勉強ができたし、納得のいく答案をそろえたと思っています。



なので、今年落ちたら、去年までの2年間と比べて、悔いは残らないと思っています。



来年は、もしかしたら勉強の効率はもう少し高まるのかもしれません。



でも今年よりも勉強量や集中力が低下すると思います。



どんなに効率よく勉強しても、最低限の努力量が確保できなければ、凡庸な頭脳の持ち主が司法試験にうかることは難しいのだと思います。



はっきり言って、今年だめなら本来は3振、失権していたわけだし、



4回目を受けること自体が、アディショナルタイムです。



本来の試合時間にたまたま延長時間が付されているようなもの。



本来は、3回目で出し切れているのに、もう一度チャンジすることは、



僕としては惰性になっている気がするのです。



一方では、今回がだめでももう一度受ければ受かるという自信のようなものも持っている。



だから惰性ではないとともいえる。



僕は、後者の気持ちを信じて4回目を受けることにしました。



しかし、これで、4回目もダメで、5回目も「次は受かるきがすると」同じような気持ちで受けるなら、5回目の受験は、完全な惰性です。しかも、受験環境は格段に悪化するというおまけつき。バイトや派遣の仕事などで生活費をギリギリ稼ぎながらになることは目に見えている。



5回目不合格時から遡って4回目の受験を考えてみると、4回目の受験も惰性だったということにもなるかもしれない。



4回目を惰性にしないためにも、5回目を受けるべきではないのだと感じています。




ここに来て僕の20台後半のすべてを賭した人生の賭けに終止符を打つときが来たのだと思っています。




もちろん目標は司法試験ですが、




いずれにしろどんな形にしろ、今年だめで来年進路を確定させます。




つまり一年以内に司法試験受験生はやめます。




それが司法試験合格になるのか、公務員や企業になるのかはわかりませんが、



進路を確定させます。



社会人になったみんながしてきた当たり前のけじめを僕もする。






もちろん、けじめは司法試験に受かることでつけるつもりですけどね。