第1 甲の罪責(以下特記なき限り条数は刑法を示す)


1 甲が7月1日朝以降Aに授乳等をしなくなった不作為について


(1)上記甲の行為につき、甲に殺人罪(199条)ないし殺人未遂罪(203条、199条)が成立するかにつき検討する。


(2)まず、甲にAを殺す故意(38条1項本文)があるか。


 ここで、ここで故意とは構成要件該当事実の惹起の認識・認容をいう。


 本件では、甲は7月1日朝の時点で、Aに授乳しなければ「死亡するだろう」と、Aの死亡を認容している。この場合、甲は「人を殺」すという構成要件該当事実の認識・認容が認められる。よって、甲には、殺人の故意が認められる。


(3) ア 次に、甲の上記不作為は、「人を殺」す行為といえるか。甲の不作為が、殺人の実行行為となるかが問題となる。


 イ ここで、実行行為とは、構成要件該当事実及び法益侵害の危険を惹起するおそれのある行為をいう。このような危険は、不作為によっても惹起可能である。もっとも、あらゆる不作為が実行行為にあたるとすれば、処罰範囲が無限定になり、構成要件の自由保障機能を害する。そこで、不作為が実行行為となるためには、不作為に作為との構成要件的同価値性が必要である。この場合、同価値性の判断は①作為義務の存在、②作為の容易性の有無によって判断するべきである。さらに、作為義務の判断は、保護関係、ぜい弱性支配を前提とした排他的支配が存在するかによって判断するべきである。


 ウ (ア)本件では、甲はAの母親であり、Aに対する看護義務を負うものである(820条)。したがって、甲には、Aとの間に保護関係があるといえる。


 次に、Aは容易に入手できる市販の乳児用のミルクに対しては、アレルギーがあり、甲の母乳しか飲むことができなかったという事情がある。この場合、甲がAに授乳をやめれば、Aは生命に危険が生じる状態になるのであり、甲はAの生命にたいして脆弱性支配を及ぼしているといえる。


 さらに、甲は甲方においてAと暮らしており、乙を除いては、Aの世話をする人がおらず、Aの生命に対して排他的支配を有していたといえる。


 よって、甲には作為義務が認められる(①)。


(イ) また、甲がAに授乳をすることは容易であるので、作為の容易性も肯定できる(②)。


エよって、甲の不作為は「人を殺」す行為と評価できる。


(4)甲の不作為について、殺人罪がするためには、因果関係が必要である。そして、不作為における因果関係は、期待された行為をしたならば、結果が発生しなったといえる場合に認められる。


 本件では、甲が授乳をしていれば、Aは衰弱することはなく、Aが死亡するかもしれないという結果の発生はあり得ないと思え、因果関係が認められそうである。


(5)ア もっとも、本問においては、乙がAを連れ出した際に、タクシーが乙に衝突し、Aが路上に転倒し、脳挫傷を負うことで、Aが死亡している。この介在事情によって、因果関係が否定されることにならないか。


 イ ここで、刑法上の因果関係は行為の結果を行為者に帰責させるのが相当かという規範的な判断が必要である。そして、行為の有する危険が危険へと現実化した場合には、結果を行為者に帰責させるのが相当といえるので、因果関係が認められる。


 ウ 本件では、7月4日の朝の段階で、Aは病院で適切な治療を受けさせても、救命することが不可能な状況に、甲の不作為によって陥っているといえる。この場合、甲の不作為は、Aの死亡という結果の実現のために大きな危険性を有しているといえる。


 しかし、本件では、たまたま乙が7月4日の昼に甲方に立ち入って、甲を連れ去り、その際にタクシーの運転手がブレーキ―操作を誤るという極めて特殊な状況で結果が発生している。そして、Aの死因は、タクシーに生じたことによって生じた脳挫傷であり、Aの死亡はタクシーの衝突による危険から生じている。


 この場合、介在事情の特殊性、危険性の大きさからすれば、甲の不作為が結果へと現実化したと評価することはできない。


 よって、本件では、甲の不作為とAの死の間の因果関係は否定される。したがって、甲の不作為は殺人未遂罪の構成要件に該当するにとどまる。


(6)ア 本件では、甲は衰弱してきたAを見て、かわいそうになり授乳を再開している。この甲の行為に中止犯(刑法43条但し書き)が成立しないか。


イ ここで、中止犯の趣旨は、責任減少と自己の意思により中止したことについて恩典を与える政策的考慮にある。そうすると、「自己の意思により」とは、やろうと思えばやれたがあえてやらなかったことを意味するというべきである。なぜなら、この場合には、責任減少が認められるし、恩典も付与するべきだからである。


 本件では、確かに甲が中止したのは、Aが衰弱してきた状況かが生じたという外部的障害に起因するものではある。しかし、甲は衰弱したAをみてかわいそうになったのであり、この動機は甲の内発的動機によって生じたものである。さらに、甲がAの授乳しない行為の障害は、Aの衰弱以外はさしてないのであって、この状況では、Aの授乳再開はやろうと思えばやれたがあえてやらなかったものと評価することができる。


 したがって、Aの行為は「自己の意思により」といえる。


ウ 「中止した」とは、結果に対する因果の流れが発生している状況においては積極的な作為、すなわち真摯な努力をしたことを意味する。


 本件では、7月3日の夕方の時点で、Aは病院で適切な治療をしなければ死亡する状況になっていた。したがって、Aの死亡に至る因果の流れは発生しているといえる。


 確かに、甲は「授乳を続ければ少しずつ元気になるだろう」と考えて、2、3時間おきに授乳をしている。しかし、Aを病院に連れていかなければ死亡する状況にあって、警察に通報さえることを恐れて、病院に連れていることをしていない。この場合、甲の行為は真摯な努力をしているとは認められない。したがって、甲の行為は「中止した」にあたらない。


エよって、甲に中止犯は成立しない。


(7)よって、甲にはAに対する殺人未遂罪が成立する。

第2 丙の罪責


1丙が甲に対して、Aに授乳させるように言うなどの措置をしなかった行為について、甲に殺人未遂罪の、共同正犯、単独犯、ないし幇助犯が成立するかにつき検討する。


2まず、丙は、Aを死亡させようという甲の意図を察知している。一方、甲は甲が何も言わないことから、「甲は私の意図に気付いていないに違いない」と考えている。この場合、丙と甲の間には、相互利用に利用補充する旨の意思連絡、すなわち共謀は認められない。したがって、甲と丙の間に「共同して」(60条)といえる関係はなく、丙に共同正犯は成立しない。


3 では単独犯は成立しないか。


 ここで、単独犯が成立するためには、前述したように、丙の行為は「人を殺」したといえるものでなければならない。すなわち、丙に作為義務が必要である。


 本件では、丙には甲のように、作為義務を基礎づける事情がないから、丙には殺人未遂罪の単独犯は成立しない。


4(1)そこで丙に「幇助」(62条)が成立しないかにつき検討する。


 ここで、不作為による幇助が成立するためには、排他的支配に至らない程度の作為義務の存在と、不作為によって結果発生が物理的心理的に容易になるという状況が必要である。


 本件では、丙はAの生活に必要な費用を負担するととみに、甲の育児に協力して、Aのおむつを交換したり、Aを入浴させるなど、Aの世話をしていたのであるから、丙には排他的支配はないもののAを救う作為義務があったといえる。


 さらに、丙は甲の不作為を見てみぬふりをしており、Aの死亡を物理的心理的に容易にしているといえる。


 よって、丙は甲を「幇助した」といえる。


(2)さらに、甲はAが確実に死亡すると思っているから、Aの死に対する認識・認容が認められ、殺人の故意もあるといえる。


(3)なお、丙はAに授乳しないのは甲の責任などと考え、自己の作為義務がないものと誤信しているが、これは法律の錯誤に過ぎず、丙の故意を否定するものではない。


(4)よって、丙には殺人未遂罪の幇助が成立する。


第3 乙について


1(1)乙は甲方という「住居」(130条前段)


(2)「侵入」とは、管理権者の意思に反する立ち入りをいう。


 本件では、確かに、甲方の契約名義人であり、アパート鍵も持っていたといえる。しかし、既に甲方には甲が乙と暮らしていることからすれば、乙の立ち入りは、甲の意思に反するといえ、乙の立ち入りは「侵入」にあたる。


(3)よって、乙には住居侵入罪が成立する。


2 乙がAを甲方から連れ去った行為について


(1)未成年者略取罪(224)が成立しないか。


(2)乙はAを連れ去っており、「未成年者を…略取」したといえる。


(3)乙は、Aの親権者であるから、違法性が阻却されないか。


 ここで、違法性の本質は社会相当性に反する法益侵害の惹起である。そうすると、社会的相当性のある行為は、違法性が阻却される。


 本件では、乙は住居侵入という犯罪行為によってAを連れ去ってはいる。しかし、Aは甲が連れ去った時点では、ひどく衰弱した状況であり、助ける必要があった。この状況からすれば、乙の行為は社会敵的相当性があり、違法性は阻却されるといえる。よって、乙には224条の罪は成立しない。


第3 罪数


1 甲には殺人未遂罪1罪が成立する。


2 乙には、住居侵入罪1罪が成立する。


3 丙には、殺人未遂罪1罪が成立し、幇助となる。


以上


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