弁護士の先輩からの指導。厳しかった。
法解釈、あてはめ、あらゆる次元で書き方がなっていないようだ。。。かならず修正しよう。まだ間に合う。
①規範定立部分の三段論法が全くできていない。これでは、論理的とはいえないし、まったく点が入らない。
とくに、自分の立てた規範と、あてはめの部分が一致していないため、点数を入れることができない。とにかく、自分の立てた規範に責任をもってあてはめる必要がある。
②法解釈の部分が適当すぎる。規範を導くまでの論理が飛躍している。条文の文言を、明確に示して採点者に法解釈する意識を示すべき。
③もっと、合格答案を研究しろ。答案から合格答案を分析していないことが伝わってくる。法律答案の構造的思考の最初のところを参考にするべき。
④基本的な論点については、法解釈の姿勢が示せるように、論述を準備する。自分なりに思考過程を示せる論証例をしっかりしろ。
⑤規範があいまい。規範定立のところで利益考量のセンスを示せ。etc...
以下妄想。
1 弁護士Aは、平成25年2月17日午後2時ころ渋谷道玄坂において、答案添削指導によって、sochを「フルボッコ」にしたといえるか。国語辞典に、フルボッコに関する明文の記載がないため、問題となる。
2そもそも、いつもはまじめに勉強日記をつけるsochがフルボッコのようなふざけた表現を使った趣旨は、sochが厳しい現実から一時的に逃避したい気持ちを表現する点にあるにある。そうだとすれば、その現実逃避はあくまで一時的であるべきであるから、最終的には勉強に役立つように徹底的に「フルボッコ」の意義を解明するべきである。そして「フルボッコ」という言葉自体は法律ではなく、立法趣旨などありはしないので、その意義は語感のみから解明するべきである。
そうすると「フル」とは、フルパワーの略であり、力の限りを意味するといえる。
さらに「ボッコ」とは、ボコボのボコを1つ省略したものであって、その意味は、そのまんまボコボコにすること意味するというべきである。
よって、「フルボッコ」とは、行為者が対面する相手を、力の限りボコボコにすることを意味するというべきである。
3本件では、確かに弁護士Aは渋谷においてsochに、おいしい昼ご飯をおごりつつ、合格するように応援している。この点からすれば、弁護士Aはsochをむしろ愛でているのであって、力の限りボコボコにしているとはいえないとも思える。
しかし、その後の喫茶店における答案指導において、「三段論法が全くできておらず点が全く入らない」、「規範とあてはめが一致しておらず、答案としての体をなさない、ぜんぜんだめ」「事実摘示、評価が全くもって不十分」ときつめの指導文句をもって、5時間にわたって、徹底的に指導している。弁護士Aが多忙な弁護士であるし、きつめの指導を長時間することが弁護士Aにっても楽ではないことからすれば、5時間の指導は力の限りといえる。
またsochは2回目の受験生であって受験回数がもはや限られている。また司法試験まで90日に満たない期間しかない。このような司法試験まで時間的に近接した段階での上記のような2回目受験生へのきつめの指導は受験生に対していろいろな意味で心理的に追い討ちをかけることになる。現にsochは今答案の書き方を根本的に修正しなければと相当やばい状況にあると思い始めているのである。そうすると弁護士Aは、受験生であるsochをいささか比ゆ的ではあるが、ボコボコにしたといえる。
4以上からすれば、弁護士Aはsochをできる限りボコボコにしているといえるから、弁護士Aはsochをフルボッコにしたといえる。
5sochは、この時期にフルボッコにされたことによって、答案の方向性を修正することができ、合格へ向けて前進することができたといえる。sochは偉大な先輩に尊敬と感謝の意を持たざるをえないのである。
以上