飯倉 大樹(いいくら ひろき) | スパイク サッカーのブログ

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プライマリー(小学生)時代はボランチで、中学1年からゴールキーパーに転向した。
内藤友康とはジュニアユース時代のチームメイトで、2人でレギュラーを争っていた。また、2003年NEW!!わかふじ国体の神奈川県選抜でも同じチームで活躍した。
狩野健太のプレースキックを止める練習をして腕を磨き、頭角を現した。これは木村和司のフリーキックを自己練習で止め続けたマリノスの先輩GK松永成立(現コーチ)と同様。
2009年6月28日のJリーグ第15節ガンバ大阪戦(日産スタジアム)で、ボールがラインを割ってコーナーキックになることを阻止しようとしてピッチ内に戻したボールが橋本英郎の足元に転がってしまいゴールを許した。試合はこのゴールがきっかけとなり1-2で逆転負けした。
9月6日、ヤマザキナビスコカップ準決勝2ndlegの川崎フロンターレ戦で、川崎のジュニーニョの遅延行為(直前に鄭大世のファウルにより、ホイッスルが鳴っているにもかかわらず、プレーを続けようとしていたこと)に対して激高。ジュニーニョを後ろから突き飛ばし退場処分を受けた。その後も抗議して、主審の胸を両手で押した。さらには交代枠が無くなったために水沼宏太が急遽GKを務めたが、そのジュニーニョに同点ゴールを決められ敗退するきっかけを作ってしまった。このプレーに対して9月11日、Jリーグは公式戦6試合の出場停止処分(J1リーグ戦5試合+天皇杯全日本選手権2回戦+サテライトリーグ1試合)を科した。
前述のように2009年はミスも目立ったものの、先輩の榎本哲也とポジションを争い19試合に出場した。
2010年は自身初のリーグ戦全試合出場を果たし、榎本から正GKの座を奪った。2011年も度々ファインセーブを見せ、チームの前半戦首位に貢献。クラブOBの水沼貴史から2011年J1リーグ前半戦のMVPにあげられた[1]。しかし、チームは後半戦で失速し結局5位だった。
2012年も開幕から正GKを務めたが、7試合勝利なし低迷。しかし、第8節のヴィッセル神戸戦で初勝利を上げるとそこから15試合負けなしとチームは一変した。しかし、第23節のセレッソ大阪戦より3連敗し、終盤戦は榎本にポジションを譲った。
2013年は4年ぶりに開幕ベンチスタートとなったが、第3節のジュビロ磐田戦ではベンチからも外れた。4月6日に体調不良を訴えて横浜市内の病院に入院。4月16日、心外膜炎と診断された。全治は不明。