奥寺 康彦(おくでら やすひこ) | スパイク サッカーのブログ

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1970年代当時、世界最高峰のリーグと言われたドイツのブンデスリーガ(1976年-1984年までUEFAリーグランキング1位)で活躍した初めての日本人選手である。3つのクラブを渡り歩き計9年間プレーを続けレギュラーとして実績を残した。その正確無比の安定したプレースタイルで地元ドイツのファンから「東洋のコンピューター」というニックネームで呼ばれ、賞賛された。

ヨーロッパサッカー連盟主催の国際大会にはアジア人最高となる6回出場。[要出典]1978-79シーズンのUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)ではアジア人として大会史上初となるゴールを記録している。なお、16年後の1994-95シーズンにタジキスタンのラシッド・ラヒーモフが得点を上げるまで奥寺以外のアジア人の得点者は現れなかった。

一般的に「日本人初のプロサッカー選手」として紹介される事が多いが、2人目のプロサッカー選手であるとの異説もある(後述)。