本当に色々な事があった2008年は、26日にいつもの年より2日早く仕事納めとなり、9日間の年末年始休暇に入った。


 今年は、夏にマーのお父さんが亡くなり、喪中ハガキを出しているため、年賀状に追われることも無い。


 夏以降、生活の中心となって来た右肩の治療(リハビリ)も、29日が今年の最後。


 “天子様”こと、K先生には本当にお世話になった。


 お陰様で、腕を上げられる角度が半分以上のところまで来た。

 能力的には、元の20~30%程度といったところだろうが、年が明ければ、全ての面で、一年で最も忙しい3月~6月が目の前となる…


 あせらず、根気強くリハビリを頑張って行こうと思っている。



 さて、学校も休み、職場も休み(マーだけは今日まで仕事)。

 釧路からブーも帰って来た。


 チャキは受験生で、さすがに勉強時間が多くなってきているようだが、姉妹弟3人そろうと賑やかだ。


 ばーがついてくれたモチを食べながら、いつに無く長い年末を過ごしている。


ハーフタイム・セレナーデ-あらきそば

 今年は、さすがに自分でそばを打つことはできないが、年末といったら「年越しそば」。


 先日は、海と二人で村山市大久保の老舗「あらきそば」に行って来た。


 「板そば」と「半板」、「にしんの味噌煮」を頼んだら、海に板そばの方を食われた。



 続いて、マーが休みの日曜日(28日)には、「絶品ギョウザ」で有名な「ほうらい」で中華そば(チャーシューメン、味噌チャーシューメン、マーボー丼)を食べて来た。


 もちろん、絶品ギョウザも。


 うまかった。


ハーフタイム・セレナーデ-ほうらい

ハーフタイム・セレナーデ-絶品ギョウザ

 (実は、仕事納めの26日にも、職場の仲間と「庄司屋」の「相盛り板そば」を食べたのだが)


 今年は、あと何回、「年越しそば」を食べれるだろうか…


ハーフタイム・セレナーデ-おにの家族

 海の絵「おにの家族」が、「第37回山形市こども造形展」に学校・3年生代表で出品され、マーと海と3人で見に行った。


 2年前、海が1年生の時も「さめにのみこまれた」で選ばれたから、今回で2回目。

 
ハーフタイム・セレナーデ-さめにのみこまれた

 親には無い物でも持っているのだろうか…と、親バカなことを考えてしまう。



 今日は、仕事で酒田市まで行って来た。


 朝、8:00前に山形を出た時にはすごく冷え込んでいて、モヤがかかっていたものの、寒河江まで行くと、澄んだ空気の中に山頂を真っ白く染めた月山がドーンと姿を現した。


 紅葉から落葉の季節、そして真っ白な雪の季節を間近に控えた月山道をさらに進むと、今度は秋晴れのもと、雄大にそびえ立つ鳥海山が出迎えてくれた(=写真)。


 昼過ぎに全ての用事を終え、帰途に就く。


 今日は山形に戻り、真っ直ぐ病院へ行き、リハビリを受けてから職場に戻った。


 退院してから丁度一カ月が過ぎたところ。


 仕事にも復帰し、先週からは装具も取れて、車の運転もできるようになった。


 家と職場、リハビリのための病院を行き来するのもだいぶ楽にはなったが、腕の調子はようやく30%程度といったところだろうか?


 ここ一カ月間、リハビリには週4日以上通っている。


 少しずつ、少しずつ良くなってきているようには思えるが、まだまだ先は長い。



 肩が上がらない生活の中で、これまでは殆んど一人でやって来たことを、色んな人の助けを借りて、一緒にやることが多くなった。


 特に、マーには手になり、足になり、これまでに無く一緒に行動してもらっている。


 怪我の功名というか、結婚して20年、ある程度冷めた仲を、ほっと一息、あたたかくしてくれているようだ。


 まあ、ほんの一瞬なのだろうけれど…

 






 昨日(10/11)は、マーの車で“キャンプ場”を出て、途中『八右エ門』という「いちご大福」で有名な和菓子屋に立ち寄り、和菓子の詰め合わせを一箱買って、留守中苦労をかけた家族へのお土産にした。


 10時半頃には我が家へ到着。バーが待っていた。


 何も変わっていないようだが、34日も経っている…


 お昼にはチャキも戻って来て、5人がそろった。


 昼食は炊きたてご飯といも煮と焼き魚。


 “キャンプ場”の食事と品目は変わらないが、一つひとつがごつごつしていて、スケールが違う。


 特にご飯は、全く別物だ。


 我が家のご飯には甘みがある。艶がある。香りがある。


 とにかく甘いと感じた。


 やっぱり、自分にとっては、本当の意味でご飯(お米)は主食であり、メーンディッシュと言っても良いものだ。


 『平成19年産はえぬき・天日乾燥有機米(玄米低温貯蔵)・5歩搗き』は最高だ。


 午後は、持ち帰った荷物を収めたり、戴いたお見舞いを記帳したり、スーパーに「快気祝」(商品券など)を買いに行ったりして過ごした。


 当たり前のことだが、自分で予定を立て、自分で考えて時間を使えるところが今までとは違う。食べることも、飲むことも、自由にできる。


 「自分でできる=自分でしなければならない」なのだろうが、こんな事は当たり前、やっと一人前の生活に戻ったという感じ。


 夕食には、いも焼酎のお湯割りを一杯だけ付けて、無事の生還を静かに祝った。

花

 10月11日(土)午前、“キャンプ場”は大勢の入院患者を休日シフトの少数精鋭で面倒を見なければならず、手術もリハビリも休みのわりに、当番医師と白衣の看護師たちが忙しく立ち回っている。


 9月8日以来、34日間の入院生活を送って来た自分は今日、退院の日を迎えた。


 朝食後には荷物の整理行い、キャンプ場仲間へ挨拶をし、ズボンとポロシャツに着替えて迎えを待った。


 9時半ころになってマーと海の迎えが到着。


 同室の人と挨拶を交わし、ナースステーションに寄ってお礼を言い、エレベーターに乗った。


 右腕の腱は繋がったものの、まだ痛みと筋力の低下で、自力で手を挙げることはできない。


 しばらくはリハビリのため通院しなければならないが、とりあえず、自宅に戻れる日が来た。


キャンプ場

 山は鮮やかな紅葉の季節を迎え、里のキャンプ場も、来た時と同じ半袖のポロシャツでは寒さをこらえなくてはならなくなった。


 自分が去っても休みなく働き続ける“キャンプ場”とそのスタッフに、改めて感謝しながら家路についた。