母として最近考えているのは、
子供をなおざりにして、自分のことだけに夢中になるのも違う
子供を中心にして、自分を後回しにしたり我慢したりするのも違う
自分の「大事」と、
子供の「大事」を
両方受け取り、形にしていきたいなということ。
それを実現するためにはまず、
自分が満ち満ちていることが大切だから、
ここ数カ月、ひたすら「自分」に注力することをやってきました。
自分で自分のご機嫌をとる。
他人から満たしてもらおうとしない。
人のことを気にする時間があれば、自分を喜ばす時間に使う。
そのツールとして、
引き寄せとか、冷えとり、マインドフルネス、おかたづけを使ってきたのですが、
そのおかげで自分に明らかに変化がでていたところでした。
わたしは、2008年くらいから本を出すことを夢見て、文章の学校に通いながら勉強を重ねてきたのですが、
つい最近、
なんで本の出版をしたいのか?と考えた時、
書きたいという気持ちと、
人に認めてもらいたいから
という気持ちがあったのだな、という気づきがありました。
承認欲求ももちろん大事なことなのだけれど、
なんというか、
自分がダメで価値がないから、なにか身につけたいという、
不足感丸出しの、
「すごいと言われたい!」みたいな、
そういう類いのものだったのです。
あと、小さい頃から父に「本を書く人になれ」と言われ続けていたので、それで父に認められたかった説も出てきた(父曰く、そんなことを言った覚えはない)りして、
本を出せば、みんな認めてくれるんじゃないかなって思っていたようなのです。
え、それって、自分がダメっていうの前提じゃん!
と思ってからというもの、
本当は何がしたいのか
どんな自分でありたいのか
どんな感情を感じていたいのかを
考えてきました。
そしたらば、本当にやりたいのって、出版じゃないなと感じてきたのです。
わたしは一度、出版社に企画をもっていき、それが実際本になったのですが、(8刷まで重版したのがちょっと自慢)
本できたー!ってなったときの感動ではなくて、
本が作れるとわかって、あーだこーだと考えているときのワクワク。実際に作っているときの至福感。取材をして、自分の世界が広がっていく喜び。
それから、この本で人の幸せが循環していくのだなーという嬉しさ。
そっちのほうがわたしを満たしてくれていた気がして。
だからわたしは、
作ることと、喜びと豊かさの循環をやりたいんだ!と気付いたとき、
本じゃなくて、リトルプレスなんじゃないかなと思ったのです。
本は、出版社に企画通らないと作れないけれど、リトルプレスならいますぐにでも作れる。
「作る」ってことがしたいんだから、それが実現できるリトルプレスっしょ。と思うようになったという流れ。
それがわかったとき、猛烈な幸福感があったのです。
やばい!楽しい!嬉しい!やっちゃう!っていう。
実際に作り始めたらもう、楽しいこと楽しいこと!
あー、ほんとに、答えは外側にはないなというか、
ひたすら自分に注力することでしか、幸せは得られないというのは、本当なのだと腑に落ちました。
自分のエネルギーがすごく豊かになってきたのもわかり、もっともっと、自分の声を拾えるようになってきた。
それでもまだ、
輝いている人が羨ましいと思ったり、
なんて自分はダメなんだと思ったりすることもあるのですが、
なんか!今朝!
急に!
わたしはもう無敵なんじゃないかと思い始めて(笑)、
そうしたら、自分が純粋にやりたいことが他にもバンバカ湧き上がってきて、
子供達や夫がめっちゃ大事に思えて、
子供達の意見にどんどん耳を貸せて、
これこそ、わたしがやりたかった、
自分の「大事」と、
子供の「大事」を拾って形にするなのでは?
これをどんどんやっていけばいいんじゃない?
と感じたのです。
ほんとに、
自分の中にしか幸せはないし、
今ここを感じることでしか、気分は上がっていかないんだなって。
ただただ、
自分を喜ばすこと、自分を大切にすることをやっていくだけなんだなって。
このことを、リトルプレスで伝えていけて、どんどん仲間が増えたらどんなに楽しいだろう。
以前、服部みれいさんのリトルプレス講座に出たとき、みれいさんは「自分のリトルプレスを読んで、明日死のうと思っていた人が、『やっぱり死ぬのやめようかな』と思ってくれるような雑誌を作りたいと思った」とおっしゃっていたけれど、
わたしも、命がホッとあたたまるような雑誌を作りたいなと思うのです。
わー、すてき!
わー、あこがれ!
みたいなのではなく、
わたしって案外いけてるんじゃないか
と思えるような。
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