足の閉塞性動脈硬化症の予備軍が日本に600万人いると推定されているそうだ。
その手の話は、別のブログで書いているので参照して欲しい。
→ http://rock-base-bath.seesaa.net/
閉塞性動脈硬化症とは、年齢を重ねるごとに硬化する血管と日常生活で溜まる血液中の老廃物が石灰化し、血流を妨げることに起因する。
これが、足に起きるのは、身体の中で一番血行が悪くなりやすいのが足と手だからだ。
血液が流れないと、熱も伝わらない為、冷えてくる。だから冷え性はそのサインでもある。逆に布団から足を出してしまうような火照りも隠れ冷え性の可能性が高いので同様だ。
さらに血液が流れないと身体中に酸素、栄養素の補給もされず、二酸化炭素や老廃物も回収されない。
血液が流れないと、血流が止まっている先で血圧を測ると低くなる。いわゆる低血圧だ。
上腕で測って血圧が低い場合には、上半身(心臓~肩あたり)の血液の流れが良くない場合があるということだ。
逆に血流が止まっている直前手前で測れば、血圧は高くなる。いわゆる高血圧だ。
身体のサインとしては、なんらかの生活習慣病を既に抱えている人はもちろんのこと、ふくらはぎのハリやむくみ、冷え、火照り、低体温、顔や頭の火照りや汗、静脈瘤・・・などあらゆるものがある。これも前述のブログ参照。
私は、仕事でこれを力説してきた。
でも、一般の方がお客様にあたる今の仕事では、なかなか理解が得られないことも多い。
特に見れば症状が厳しいからこそ、力説してるのに、そういう方ほど聞く耳を持たない。
皮肉なことに忠告を聞く素直な耳を持たないからそうなるともいえる。
これも生活習慣病だから。
だからなる前に予防するのが大切なんだよね。
予防は普段の生活でもできるんだよね。←生活習慣
メタボ検診がはじまってるけど、胴回りもだけど、基準値になっている血圧、脂質、血糖値、喫煙などは、該当するなら肥満やメタボだけでなく、突然死につながる他の生活習慣病の可能性が高まるから該当するなら早め検査する方がいいわけだ。
そのあたりも前述のブログに書いてあるし、予防のポイントも書いてある。
厚生労働省の仕事としては珍しくまともなのでメタボ検診、専業主婦の方々も検診の機会が少ないと思うので該当するなら是非検診を(あと女性は乳がん検診等の女性特有のがん検診も是非)受診したほうがよい。
ただ、メタボ検診受診率が上がれば上がるほど国から地方自治体に助成金が行く変な競争を煽る仕組みは、なるほど厚生労働省の仕事っぽい。
テレビ朝日では、この症状で千葉西病院に名医がいて全国から集まると言っていた。
但し、脳と違って現時点では、足は保険きかないそうなので、やはり面倒くさくても、自分には無縁だと思わずにしっかり予防した方がいい。
運動、食事、睡眠、休養、温浴(半身浴)が大切なんだけど、血行を阻害する大元は、筋肉がほぐれていないことによる血管やリンパや神経の圧迫と、食物やクスリやサプリや、大気中や水に含まれる有用成分以外の人為的に作られた様々な食品添加物や有害金属などだ。
それもあってこのブログでは、全般を通して自然環境回復保全を訴えている。
自由経済の競争と発展と共に不自然なものが大量に作り出され、それによって人体の健康被害も、地球温暖化、生態系被害、食物連鎖変動、絶滅危惧種増大、地球環境の破壊の原因になっている。
人類はとてつもなく不思議で不自然な行動をとっていて、人体の健康被害でいえば、
突然死の一因にもなるようなものも含め人体に健康被害を出しておいて方や医学の進歩で健康を補っている。
また、不自然な人口増、人口減を招く原因になるかもしれないということは否定できない。
純粋な自然の摂理による人口増減がどのくらいなのかは、不自然なものがなくなってみないとわからないけど、現代でも体験したこともないような天変地異でも起きない限り、急激に増えたり、減ったりはしないはずだ。
仮に医学が倫理的に否定されることがあったとしても、それは完全に自然環境を回復、復活させた後であって決して逆ではない。
こんな現代だからこそ、受けたい医療がお金がない為にことごとく受けられない事態は避けなければならない。
今、施行されている後期高齢者医療制度も1ヵ月前後で施行される、かかりつけ医制度も、苦しい人々を生み出している介護制度も、それに伴うベット数削減についても全て見直しが必要だろう。
至るところで土をアスファルトやコンクリートで覆ってしまうことで照り返しや反射が起こることや必要以上の宅地開発やショッピングモール開発、ビル開発などもヒートアイランドの一因になる上、人の膝に負担をかけていたりもする。
これまでの発展を支える時代の最先端技術や知能は素晴らしいものだ。
ただ、結果失うものもますます増えたし、今後も増えそうだ。
だからこそ、新たな素晴らしい知恵を持って、失ったものを回復しなければ、これからは、失うことのないように人類は歩いていく方が人類のためでもあると考える。