日産を退社して法人にはなってましたが社長一人の工作機械を販売する商社へ入社しました。

 

 社長は、元々工作機械商社の社員で営業をしていて顧客の信頼を得て独立した方でした。ここでも営業とはこうするもの、みたいなノウハウは教しえてもらえず、工場を見つけては飛び込み訪問して機械に着ける刃物などの少額の受注をするのが精一杯で、たまたまバイクのツーリングクラブで知り合った方が工場を父親とやっていて中古の工作機械を買ってもらったのが唯一の受注でした。

 

 そうこうしているうちに社長の一番のお得意さんから「伊藤くんを欲しい」とリクルートされて社長も断れなくて話を頂きました。正直、嬉しくもなく、犬猫でもあるまいし俺をくれだと、と不快だった記憶があります。それでも社長のように機械を売れる見込みもないのでプラスチック成型金型を作る工場へ就職しました。

 

 直ぐに営業するのかと思ったら工場で作業を覚えてから営業という話でした。まぁ、嫌々の仕事でした。身も入らず、暗い日々、女の子には振られるし、俺北海道に帰りたい。そう思ったら、保険代理店である叔父がよく言っていた「禎哲よ、俺の仕事しないか?いい仕事だぞ」を思い出して叔父に電話しました。当時息子から仕事は継がないと言われていた叔父は喜んで受け入れてくれて保険営業の人生のスタートラインに立ちました。

 

 そうそういつの間にかレース関係の仕事をするという夢は自然消滅していました。それは追々バイクのブログで書きたいと思います。