お葬式 1-7は、プロローグだ。これから、父との葛藤の思い出をふりかえって、ここに吐き出してみたい。

 

といっても、父は、酒乱でもなく、ギャンブル好きでもなく、妻や子供を虐待していたわけでもない。子どもたちには望む学校にいかせてくれた。だから、これから書くことに悲劇はない。

 

昭和一桁( 9)生まれの父が、どのように個性的だったか、その個性に僕がどう影響されたかを書く。そのあと、彼の強烈な個性が、戦後の厳しい時代を生き残るために必要だったのではないかと思うことを、書いていきたいと思う。

 

さて、父の個性を3つ上げるとすると…

 

  1. 自分の価値観を強く持つ一方、常識や他人の価値観への関心は低い。人目をまったく気にしない。

  2. 金銭を使うことを嫌い、基本的な快適さや生活上の必要なことの一部を犠牲にしてでも、金銭を溜め込もうとする。

  3. 他人の言動への忍耐が、いちじるしく低い。

     

簡単にいってしまうと、勝手で、ケチで、短気だ。

 

父が葬式に喪服を着なかったのも、上記1 2 のためで、必要な服装マナーという常識に価値を見出さず、「喪服を着る意味などあるものか」と、買うお金を惜しみ準備を怠っていたに違いない。

 

こんな話を書き続けたって、関心をもってくれる人がいるかどうか分からない。少なくとも、いまだに父とうまく付き合えない自分の気持ちを整理するために、書くということが助けになるのではないかとの期待がある。

 

ところで。

 

葬式の後、父の一連のことと、母の欠席を、妻に深く深く謝った。お詫びとして、これからの人生、僕から発せられる優しさを20%増しにすることをお誓い申し上げた。その後、まったく割増されている実感がないと、頻繁に妻に指摘されている。

 

あと、あの集合写真は、親戚に配られることはなかった。父のせいだと思うが、恐ろしくて、義父とその話をすることはない。ただ、妻が、実家に戻ったときに、その写真を見たらしい。父の姿はそのまま捉えられていたが、僕が微笑んでいるということはなかったようだ。ここのところだけ、とても安心した。