江戸の昔は、蕎麦は食事としてというよりも軽食でした。
そして当初は「下賤の食べ物」とみられていて、身分の高い層からは敬遠されていました。
今からは考えられないのですが、武家社会の史書には「人前で食べるものではない、小銭を出して食すものでもない」との記述も。
時代と共にそういった偏見もなくなったようですが、昭和の初期頃までは蕎麦屋の使われ方が違ったようです。
湯の帰りに少し立ち寄る喫茶店のような利用のされ方もありましたが、蕎麦屋の一階は蕎麦を食べる場所で、二階は別の利用方法でもありました。
家に連れて行きづらい人と会う場所、人目を憚る打ち合わせ、男女の逢い引き(古い表現ですね)などが専らの使われ方だったようです。
それ故、昔は店の作りも殆どが二階建てだったとか。
(そば・うどん)のボタンをクリックして頂きますと励みになります。
↓