江戸時代のそばとかけてジャイアント馬場と解く、その心は?

どちらも十六文で売り出しました。

二八そばは、そば粉とつなぎの割合(8対2)を表していますが、十六文で売られていたからこの名がついたという説もあります。

江戸時代のそばの値段は一律に決められていたようです。~物価が高騰した折に、そば屋がお上に値上げのお許しを頂きにいきました。~するとお上は、値上げはならぬが上げ底は許す、ということで上げ底のセイロが生まれたとさ。


信じるか信じないは貴方次第です。