ひとり映画が

平気になって1年半。


初めてしたとき
そわそわして落ち着かなかったなぁ


そんな感じだったけど
今ではなにがそんなにそわそわしてたのか
思い出せないぐらいです


今回の映画「記憶屋」のお供は
チュリトスとホットコーヒー♪


買ったあとに
トイレに行きたくなる。。。ガーン


しゃーない。。。
チュリトス片手にトイレへ。。


こんなときに
ひとり映画は困るね


けれど普通に
トイレへ行けちゃうところは
ほんっとに たくましくなりましたチュー


ムスメを駅まで車で送ってたときのこと

その時に車内で流れていた曲に
「2ヶ月ぶりに聞いたわー」
と言うので

「年末のTVで聞きまくったやんか!」
と、つっこみました💧

本当に何回も聞いたのよ〜〜



そしたらね


TVで聞いたのは
勝手に曲が流れてきたものだから

聞かされていたってことなの!!



ちゃんと聞くというのは
じぶんで選んで聞くってことなの

だとさ。
なるほど。。ね。



じゃあ
お母さんの小言を
聞かされるのも

聞こえてくるけど聞いてない


勝手に流れてくる音楽と同じ



授業中の先生の話も
やる気なかったら
聞かされているもの

耳に入ってきても通り抜けていくわけだ





ここでのポイントになるのは
「じぶんで選ぶ」



そのアクションがあるから
主体的になる




子育てで
手取り足取り先にやってしまったり

あれしなさいこれしなさいって
指示しちゃうことも

それでうまくいったとしても
じぶんで選ぶっていうアクションがないと
やらされているだけになる



じぶんで選んで行動できる
という環境と見守りがとても大事。



だけど
ついつい言っちゃうよね〜

待てないよね





親の言う通りに生きてきたわたしは
じぶん というものがなくて


じぶんが選ばず
じぶんが決めず
言われるままにやってきたから

生きてるけど生きてない




じぶんがない。。
そんな感覚になるのは当然だったのかもしれない

どれから食べるか選ぶ。
何度もくりかえすことで、じぶんで選ぶ癖をつけてます。