「やる」のか 
「やらない」のか


昨日は1日仕事だったので
夜には ふらふらで
夜ウォーキングが嫌になりました


前日も 気持ちが向かず
行きませんでした


今日やめると
2日のおやすみになる



じぶんの身体の感覚と
気持ちを大切にして

しんどいときは休む

気持ちか向かないときは
無理やり動かさないことは

とても大切だと思ってるんだけど





よーく 見極めるのは
わくわくは どっち?ってこと


家でゆっくり休む
じぶんがいいのか


短い時間でも ウォーキングする
じぶんがいいのか



客観的にじぶんを見ると
次の行動を選びやすくなる




多少しんどくても
夜の道を歩いていると
こころが落ち着いてくるのは
わかってる


歩いてみて
しんどかったら 
切り上げてやめたらいい


一歩  ドアを開けて
出かけるエネルギーが
身体に残ってないだけで


一歩外に出たら 
気持ちよく歩けることも
知ってるから


いつもは
身体がふらふらなときは
「やらない」を選んできたけど
えい!と ちょっとだけ気合いをいれて
夜ウォーキング の
「やる」をえらびました





いつも通り 二周 
走ったり歩いたりして帰ってきたけど




結局 
ウォーキングしてよかったのか
よくなかったのか


わからんもので。。



余計疲れたような気がするし


こころは落ち着いたような気もするし


どっちがいいかなんて
わからなくて


あるのは
ただ 歩いた   という事実だけでした



わたしたちは
毎秒ごとに
何をするのかじぶんで選ぶことで


じぶんの生きる世界が創られていく


けれど
すぐには その選んだことが
よかったのかどうかは
わからない


選んだ事実は
ただの点で


その点が たくさんあつまって
線になっていく


線になり
じぶんの生きる世界の絵を描く


そんな生きる世界の絵ができたときに
あれを選んでよかったなぁって
後付けされるものだから


いま選んだことが
よかったのかどうかは
いまはわからないし


そもそもの
じぶんの前提で創られるのだから


なにを選ぶのかは
あまり重要ではない






だからこそ
好き勝手に
いろんな点を
たくさんつけていけばいい


いつも 同じではなく


「やる」ばかりえらぶときは
「やらない」をえらぶ


「やらない」ばかりえらぶときは
「やる」をえらぶ



どちらにも 損得はあって

どれを選んでもいいのだから



いろんなバリエーションで
選択をしていこう