既に二回拝見した「三人吉三廓初買」の、昨日は東京千秋楽だったので「見届けなくちゃあイケねえや」という心持ちで東京千秋楽を観劇しに東京芸術劇場プレイハウスに行ってきました。





物語の感想は2回書いたので今日は古典の現代かっ!についての感想を書いてみます。

160年前に戯曲を書いた河竹黙阿弥と今回の舞台で黙阿弥のもとの戯曲を補綴なさった木ノ下裕一さんと演出をなさった杉原邦生さんのなんと素晴らしいことかと染み染み思いながら観劇していました。


「古典の現代化」を実現化なさった木ノ下裕一さんですが、昨日の舞台でも「型破りってこういうことかもしれない」と感服しながら拝観していました。


例えば落語の「死神」ならば、落語家さんによって死神が唱える合言葉「テケレツノパ」を変えたり、サゲで蝋燭の火を消すところを変えたり(立川志らく師匠のサゲでは‹お誕生日おめでとう。ハッピバースデートゥーユー♪›と死神に歌われて思わず蝋燭の火を吹き消しちゃったというサゲだった)、「芝浜」でもやはり噺家さんによってサゲが違ってそれが観たい聴きたいと思うけど、今回の木下歌舞伎「三人吉三廓初買」での木ノ下裕一さんの補綴と杉原邦生さんの演出はそういうものではなくて黙阿弥が書いた七五調の言葉や様式美はそのまま情感たっぷりに、たぶん黙阿弥が生きていたら本当に言いたかった(と思う)「まじかよ」とか「やべえ」といった言葉を若い三人の吉三に言わせたり、突然廓でコントのようなやり取りがあったり、地獄の幕ではしりあがり寿さんの漫画のような「ありえな~い」とツッコミを入れたくなるような奇妙奇天烈な演出があったりしたのです。


音楽にしても能楽のお囃子にラップにクラシックに現代の歌と、なんだかもうぜんぶ入れ。

それがごちゃごちゃにならないで全部がまとまり心地よかった。


こんな古典芸能は初めてで最初(16日)に観たときは度肝を抜かれたけど、これが河竹黙阿弥が現代まで繋ぎ続けたいやり方だとしたらまるで木ノ下裕一さんと杉原邦生さんに黙阿弥が乗り移ったようで、昨日もやや興奮気味で観てました。


古典の現代化は現代劇を古典で表すこととは違うし、古典を変化させることとも違う。


いつか狂言方の方が(あえてお名前は伏せます)「古典を古典のまま演り続けるならば博物館に展示しておけばいい」というお言葉をきっと若気の至りで仰ったのだと思うけど、その時はその通りだと思いながら拝聴していました。


古典芸能の素晴らしさを伝承するのは難しいと思うけど、今回の木下歌舞伎を拝見してこれ程の補綴と演出があればきっと古典を繋ぎ続けることは難しい事ではないのだろうと思いました。いったい私は何様目線で書いているのかしら…。







昨日の東京千秋楽は丁寧に丁寧に三人の吉三と廓のやり取りが描かれていました。

間のとり方が素晴らしかった。


昨日は2階席だったので三幕目にすぐそこに坂口涼太郎さんがー。

東京公演最後にしてなんと嬉しいことよの。


この「三人吉三廓初買」を拝見して特筆したいのは何役もこなす俳優さんたちの力量と早替わりの素晴らしさでした。


特に武居卓さんはなんとおひとりで七人の役をこなされて、Xにも「痩せました」とお書きになっていらしたけれど武居さんという俳優さんの心意気を感じ、初めましての俳優さんですが大ファンになりました。今後の地方公演、どうぞお身体ご自愛下さい。


眞島秀和さんも緒川たまきさんも流石だなと益々好きになりました。


三人吉三の若い三人(田中俊介さん、須賀健一さん、坂口涼太郎さん)もハツラツとしていて俊敏力が半端なく兎にも角にも格好良かった。

坂口涼太郎さんは艶っぽさが増していました。


昨日のカーテンコールは凄かった。

スタンディングオベーションで拍手が鳴り止まず、須賀さんが「ありがとうございました」と頭を下げていらっしゃった。

いえいえ頭を下げるのはこちらのほうですよと思ってました。



実家で母の介護をして去年の4月に母を看取り、去年の今頃の自分自身の事を思いだしていました。

まさか自分が池袋まで演劇を見にいける日がくるなんて思ってもいなかった。

あの喪失感のどん底から這い上がってきたのだなと感無量です。


この舞台に出会えて本当に幸せでした。

皆様本当にどうもありがとうございました。


この先、松本、三重、兵庫にたすきが渡されてゆきます。

どうぞ皆様呉呉もお身体をこわさぬように走り続けてくださいまし。

ありがとうございました。