あっ!
という間に5月が去っていきました。
6月始まりの今朝は実家に行きお仏壇のお花を取り替えてから義姉にお米を貰いに兄邸に行ってきました。
去年の4月20日に亡くなった母の一回忌の供養は甥たちの仕事の関係で5月のゴールデンウィークにしてほしいということで5月4日に法要をしてもらいました。
埼玉までの電車内でパニック発作が出なくて本当に良かった。
無事に母の一回忌ができて本当に良かった。
一回忌の法要を無事に終えて少し経った頃から胃がムカムカして、ついに食べてはもどすの繰り返しの日々が続き消化器科内科へ受診。
「胃カメラをしましょう」と言われて思い出したのは1.2年前に受けた胃カメラのこと。
胃カメラをのむ前に注射を打たれてその副作用なのか目がチカチカして心臓がドキドキして酷い目にあったトラウマがあるので嫌だなあと思っていたら「うちは鼻からチュウブを入れる方法しかやっていません」とのことで、鼻から胃までチューブを入れるなんてっ!?とびっくりしたのも束の間、チューブに麻酔をタラタラ垂らしながら胃カメラのチューブを入れてくれたので痛みも苦しみもほとんどなくすみました。
しかも口はあいている状態なので、私の胃の中の状態を画面で見ながら先生の説明を聞き返事ができるという良さがありました。
「ここポリープがあるから切りますね」「はい、ありがとうございます」と鼻からチューブが入った状態で口からタラタラ唾液を垂らしながら返事をして分からない事は聞くことができました。
「この黄色の所が荒れてるところです。もっと下のほうは紫になってますね」ということ。
私の胃の中はとってもカラフル。
十二指腸潰瘍と逆流性食道炎とのことでした。薬を飲んで1ヶ月後にまた見せて下さいとのこと。
その翌日のこと、右半身がずっと痛くてきっとヨガのやり過ぎで筋肉痛なんだろうと思っていたら、夕方右半身に激痛が走り指が痺れて慌ててスマホで越してきたここら辺の整形外科を調べてまだ受付ていそうな病院に行くと受付けて下さり、レントゲンをとって貰うと頚椎なんとかという長い名前の頚椎の病気で先生曰く「加齢性のものですね」とのこと。
なんでも加齢性加齢性って、まったく嫌になっちゃう。
骨密度測定もしてもらい骨の年齢は年相応とのことでした。
痛み止めを飲みリハビリをやっています。
お医者様は「何もしないのが一番治りが早いです」と仰り、リハビリの先生は「ヨガを続けてください。身体を動かしたほうが治りが早いです」と仰り、私はリハビリの先生の意見を信頼してヨガを続けています。
今はあの頃の激痛は無くなり右を向いたり上を向いたり寝る時右側を下にすると痛みが走るけれどだいぶ良くなってきました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240601/10/sobakasu1212/0d/22/j/o0813108015445961970.jpg?caw=800)
NHKラジオで聴いた入船亭扇橋さんの「替り目」が面白かったので横浜にぎわい座の地下ののげシャーレに入船亭扇橋さんの高座を聴きに行きました。
前座噺だったけれど楽しく拝聴しました。
「[青菜]の………義経にしておけ」から最後の[百川]の「弁慶ですから」のサゲ。繋がってたんだと気がつきました。
ひとときの楽しみをありがとうございました。
その前に弘明寺観音へ行くと偶然護摩供養をしていたので私もちゃっかり参加。
皆さんのお経の大合唱と御本尊様の前の炎の高さに驚きました。結構な迫力でした。
8のつく日は護摩供養の日ということで、この日を期に護摩供養に参加させてもらっています。3時間位の供養にずっといることはないけれど御札を炎に焚べることはさせて頂いています。
6月にまた別の供養があるとのことなので行ってみるつもりです。(この日は商店街でお菓子がもらえるそうですよ)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240601/10/sobakasu1212/41/df/j/o1080081315445961996.jpg?caw=800)
久しぶりに会った友達と食事をしました。
お祝いの食事会だったのに結局割り勘になっちゃって悪いことしたな。
ボルダリングの話で盛り上がっていたら私もボルダリングをしてみたくなりました。
それから低山登り。みなとみらいの新しいお店ものぞいてみたい。やりたいことが沢山あります。やりたいことリストに書いて残りの人生でやれることを無理なく行っていくつもりです。
母が亡くなった後に母の人生を知りました。
母について私は知らない事ばかりだと思いました。
苦労と努力と忍耐と、少しだけ楽しみのある人だったんだと思いました。
戦時下をのりきり妹弟を嫁婿にだし私を産んで2ヶ月で仕事に戻った私の母。
その頃には珍しかっただろう結婚したのは24歳の時だったらしいです。
今でも遊びに行く時、どこからか母に「遊べていいわね」と言われているような気がします。
聞こえない母の声を振り切って「私の人生だもの」と心の中で言ってでけます。