昨夜も痛みで眠れなかったことと、以前から大好きで聞いているラジオ深夜便のアンカーが畠山さんだったこともあり、夜中に突然ツイッター(X)を始めてみました。


そうしたら母が生きている頃の自分のアカウントを見つけて懐かしく、暫く以前の自分のツイートをながめていました。



2022年までのあの頃は当時私が住んでいたマンションと実家の母の所を行ったり来たりしていました。


お正月に母が私の住むマンションに来たときの写真や2021年に愛犬スウが亡くなったときの写真を見ていたらなんだか悲しみが覆いかぶさってきてこれはいかんとログアウトしたけれど悲しくて淋しい気持ちは戻りません。

淋しくてももう母に話を聞いてもらえないし実家に帰って母のお世話をすることもできない。

淋しくなったらどうするか、いま自分がやるべきことは何なのか、これからは自分の頭で考えて自分で行動に移すだけだ。

何十年にも思えた母の介護はほんの数年で、私がマンションから実家に越して24時間体制で介護をしたのは母が亡くなる1年前だった。

デジタルタトゥーというけれど、ツイッター(X)がそう思い出してくれた。

1年。

数字にすれば短い年数。

もっと母のことを看ていたかった。

母親の介護をしていた期間は大変だったけれど本当に幸せな時間だった。

母の思い通りにどこにも入院せずどこの施設にも入らず実家で看取れたことだけが私の悔やみを少し和らげる。