母の一回忌の法要に、お墓がある埼玉県の小手指に行ってきました。
小手指には横浜から地下鉄(?)で一本で行けるようになりましたが、私はパニック障害という閉塞感や圧迫感がある場では過呼吸のような発作が出てしまうので地下で行くのはちょっと…と困っていました。

今日の法要には「池袋から西武線に乗って行きましょう」という義姉の提案で、私もなんとか行くことができました。
そして、義姉、兄、甥家族のおかげで母の一回忌の法要に無事に参加することができました。

何日も前から行けるかしらどうかしらと不安で仕方がなかったけれど、皆のおかげで母の一回忌の法要に行くことができました。
本当に有難うございました。皆の優しさに心から感謝します。

今日は西武球場で西武とソフトバンクの試合があるということで、車内はとても混んでいたけれどなんとか絶えることができました。

1年ぶりのお墓参り。
母が亡くなりもう一年経ったなんて信じられません。
法要のあと母の写真を前に皆で会食。

私を支えてくれる人達がいてくれて私は幸せ者だなと思いながら食事をいただきました。

どうなることかと思っていたけれど、みんなのおかけで母の法要にでることができて本当に良かった。
母も家族全員に会えて、7歳と3歳のひ孫に会えて嬉しかったことでしょう。

お寺のご住職が「お母さんが新しい所へ行って一年です。一回忌の法要をすることは、新しい所で幸せに過ごせますようにという意味があるのです」と教えてくださいました。

そうか、母も新しい場所では一年生なんだ。
私も母がいないこの世での一年生。
よく一年もったな。淋しかったな。心細かったな。

これから先は、より身体を鍛えて元気に過ごしますからどうか心配しないでね.。
どうしても駄目な時は兄や義姉に支えてもらいます。

献杯の時に兄が「実家の片付けをしている時に母のことをよく知りました。母はみんなが安心して、仲良く過ごすことを一番に考えていたようです」と言っていました。

妬んだりひがんだりせずにみんなと仲良く過ごせますようにと自分の心に言い聞かせました。


そうは書いたものの、母が亡くなって淋しいのや心細いのはたった1年ではなくなりません。
喪失感はなくなりません。
時々夢に出てきてね。

明日の朝は今日買ってきた狭山茶の新茶を入れよう。

一年。
何年立っても節目にはなりません。
母のこと、忘れません。