全国の皆さんは、ご存知でしょうか。
義援金など
被災地に寄付して頂いたと思いますが、
私には、1円たりとも回ってきてませんよ。
それどころか、
住みにくい街になってしまいました。
あの日の後
何が起こったか…
何を思ったか…
紐解いていきましょう。
負のブログ
以前紹介しましたが、
ではいったい何を感じ、何をしたか…
2011年3月12日朝
出勤前にガソリンスタンドに寄ってから出勤しようと思い、家を出ました。
自宅から車で5~6分の所に有る橋を渡った時点で、渋滞が起こっていました。
「何処かで事故でもあったのかなぁ」
さっぱり進みませんでしたが……少しずつ進んでいます。
「ガソリンが入れられる」
そう思ったのは、スタンドの手前100メートル程でしょうか。
前日の夜、通った時には、
電灯すら点いていなかったのに…
スタンドの屋根からソーラーパネルが飛び出ているではありませんか。
まるで「ジェット戦闘機のエアーブレーキ」の様に…
自家発電しているんですね。
条件として
レギュラー2000円分のみ、全ての人が入れられる…でした。
…その後
出勤時間は遅れましたが、とりあえず店頭販売のお手伝いです。
勿論、電気・水道は通っていません。
ガスは通っていたのですが、店長の意向で使わずにいました。
皆さんは
停電していた時、どんな事を考えましたか?
ライフラインの一つである「電気」が無い訳ですが、まさかですが「このまま飢え死にするんじゃないか」と思った方も多いのでは?
案の定、店頭販売に訪れるお客様は多いもので、
食料や水、身の回りのケア商品を買い求める方は後を立ちません。
その列は300人を超えていました。
その程度かと思われる方も中にはいらっしゃる事でしょうが、
その前に「足が無い」という方の方が多かったのではないでしょうか。
「ガソリンが買えない」
買うには、前日の夜から路駐して待つしかなかったのですから…
私ですか?
3月13日の朝にもガソリンを入れる事が出来ました。
その日は「ハイオク3000円分」のみ販売です。
勿論、4時間近く並んで入れました。
職場には遅れて出勤ですが、誰一人として遅刻した事を責める人はいません。
そりゃそうですよね、自分も同じ立場ですから…
お昼は交代で、カセットコンロにお湯を沸かし、カップ麺などを食べました。
担当の人が用意してくれました。
バックヤードに飲料水、カップ麺はあったんです。
お店で売る商品ですが、それ以上に食料は山ほど存在しました。
流石、某大手食品スーパーだけある…
では、何故それだけの在庫を持っていたのか
実は、3月11日は特売初日で、…福島県・宮城県と山形県・栃木県・茨城県の一部の方はその特売日が何かご存知だと思いますが…そう、どまんなか得の市です。
しかし
物流は途絶え荷物は一切入っては来ません。
在庫していた物だけの販売です。
しかも
殆どの商品は100円で販売しました。
そして懐中電灯を片手に
バックヤードにて、飲料水を見つけました。
見つけたのは、私です。
「緊急対策本部の様な人だ」と言われました。
憶えていますか?
単1・単2電池が消えた事を…
そうです。
サーチライトなど単1・単2電池を使用する照明灯は電池の消耗と同時に、使い物にならなくなったのです。
その時私が持っていたのは「LEDライト」でした。
何の因果関係かは定かではないのですが、
その年度の「PTA地区役員」として「夏の行事」があるのですが、「祭礼時パトロール」というのがあったんですね。
で、
「LEDライト」を使用しようと購入し、所有していた訳です。
使用する電池は、単4電池3本
不幸中の幸いで、電池に悩まされる事はありませんでした。
では、私生活ではどうでしょうか
当然、夜になると暗くなってしまう訳ですが
何と…うちの息子なのですが、小学生以来の趣味で「LED照明灯」を集めていたんです。
これまた、不幸中の幸いです。
リビングに数カ所照明灯を置き、夜を過ごしました。
その時思った事
「いつになったら電気が復旧するんだろう」
そして
ラジオで情報を得る事が出来るのですが、福島の原発話題しか取り上げないマスコミに
大きな違和感を感じていました。
「原発話題はいらない」
「女川原発はどうなった」
「早く電気を通してくれ」
ラジオは、ラジカセとウォークマンで聞く事が出来ましたが「原発話題」になるとムカついてきて
「電池の無駄」だと、ラジオを消していました。
本当に必要な情報は、被災者にしか解らないという事です。
冒頭で述べましたが
義援金などのお金は一切受け取っていません
家は貸家だし、半壊・全壊の家屋に対して、り災証明が発行され
お金が受け取れる仕組みです。
被災証明だけでは「高速道路が一部無料で通れる」だけです。
それも、今年の3月で終わってしまいましたが…
そして
私のとった行動についてです。
私の住む地域では「断水」にはなりませんでした。
ガスはプロパンです。
一カ所から引いていたのですが、途中ガス漏れが発覚し、個別に取り付けとなったのですが
「カセットコンロ」もあったし、食べ物に不自由は感じませんでした。
まだ寒い時期だったので
食品が傷んでしまう事は殆どありません。
ただ
自分達は「寒い思い」をしましたよ。
石油ファンヒーターは電気が無いと動かないのですが
かみさんの実家から使っていない「石油ストーブ」を借りて来て暖を取りました。
私は夕方暗くなる前に
土鍋でご飯を炊きました。
家族3人「LED照明灯」の灯りだけで夕食を取りました。
職場へは
毎日のように「水道水」を運びました。
4リッターのペットボトルに数本と1.8リッターのペットボトルに数本と…
買い物カゴ2つ分の「水道水」です。
あの時
水を運んで来たのが私だったという事を知らない人もいるのでは?
これだけではありません。
4時間掛けて歩いて出勤してきた当時の鮮魚Mgrが避難所生活をしていたのですが、
救援物資となるお菓子などの食料品を私の車に乗せ、一緒に避難所まで送った事もあります。
ガソリンが買えなくて出勤出来ない社員がいました。
身内に乗せて来てもらって出勤したのですが、帰りの足が無いというので、私が送りました。
ある人はここ(店)迄来たのはいいが、自宅迄の足が無いと言うので、私が送りました。
私の帰る方向が同じだったので、快く引き受けました。
どうでしょうか
私のとった行動は正しかったですか?