核戦争一歩手前
1962年、広島原爆の75倍以上の破壊力をもつ核弾頭を搭載した8基のメースミサイルが沖縄に配備された。その半年後、1962年10月にキューバ危機が勃発。この時、配備されたばかりのこの沖縄のミサイルに誤って核攻撃の命令が出されてしまった。しかし現場の発射指揮官の判断により危ういところで発射が回避されたという当時の軍関係者の証言がある。ちなみに、ベトナム戦争のピーク時である1967年沖縄には1300発の核が配備されていた。キューバ危機では、同様の事態がソビエト側にも起こっている。アメリカ軍によるキューバ近辺の海上封鎖の中、核弾頭の付いた魚雷を搭載したソ連の潜水艦4隻がモスクワとの連絡が取れずこの海域で待機していた。このうちの1隻が、アメリカ軍の駆逐艦に探知され威嚇の爆雷攻撃により浮上を促される。しかし、潜水艦の艦長は攻撃され戦闘状態に入ったと勘違いし核魚雷の発射を準備する。モスクワと連絡が取れない場合、当時の潜水艦では各自の判断での核兵器の使用が認められていた。その場合、艦長と副官の合意が必要になるのだが艦長と副官は核攻撃を決断した。しかし、この艦にはもう一人参謀長のヴァシーリ・アルヒポフという男が同乗しておりここでは、彼の合意も必要とされた。そして彼は、核魚雷の発射ボタンを押すことを頑として認めなかったのだ。結局、潜水艦は浮上し戦闘は行われずに核戦争も回避されヴァシーリ・アルヒポフは「世界を救った男」とも呼ばれている。