本日のリーチ。



渋谷近辺に住んでいるため、雀荘には困らない。

大手チェーン店から、踏み込まれたら確実にヤバそうな店、ノーレート健康麻雀までよりどりみどりだ。おそらくマンション麻雀もあるだろう。

客層もサラリーマン、学生、初老の紳士淑女まで多岐にわたっている。


そんな中で、一番よく遊びに行かせてもらっているのが、掲題の『渋谷クエスチョン』というお店だ。


卓数は7卓ほどで、ヤマダ電機の近くの細長いビルの一番上にある。

ほぼ東風戦の赤・金あり麻雀で、メンバー含めレベルも高く、とてもよく負ける。

トータルの負け越し額はあまり考えたくない。


帰り道はいつも脳内で反省会をするのだが、

最近、私の中で決定的に欠けているのが「今この場で勝つ」という意識なのではと感じている。

なんだかんだドン臭い。いつもあと一歩で負ける。

大負けすることはあまりなくても、小負けが積もってパンクするパターンがほとんどだ。


麻雀だけに限らず、いろいろなところでこの「小負け癖」は顔を出す。

会話をしていても、提案をしていても、自分の中では「A」と決めていても場に押し流されて「B」が決まってしまうことがある。

本当にどうでもいいことならそれでいいのかもしれないが、こと「何かを作っていく」という過程ではこの「小負け癖」は非常に厄介だ。

何か遠慮してしまう。

自信がないのかもしれない。根が争いたくないのかもしれない。そういう気分なだけかもしれない。


親から聞かされた幼稚園の頃のエピソードに、こんなものがある。

外で遊ぶ時間が終わって、みんな水道で手を洗ってから室内に戻るのだが、

私は他の友だちをどんどん前に入れてしまって、いつまでも手を洗えずにいたのだという。

いじめられていた記憶は特にない。

ぼけっとしていて前があいていた、というよりは、進んで前をゆずっていたようだ。

幼稚園の頃の性根は、簡単になおるものではなさそうだ。


闘争心がない、というのは昔からコンプレックスだ。

あとで悔しいと思うのは明白なのに、勝負のキワキワで我武者羅になれない。

中学ではそれを克服したい一心でバスケットボール部に入ったが、

やはりキワキワのところで自分に甘く、補欠出場ばかりであった。

何かに向けて努力するのは好きなのだが、進捗が悪いとパッと諦めランプがついてしまう。

それは理性で消そうとしても、なかなか消えない、本当に厄介な性癖だ。


だから、映画監督や演出家など、独善的にものをつくり上げることが出来る人に憧れる。

彼らは周りからやいやい言われてもへこたれないか、やいやい言われないような処世術を身につけている。

実際、誰かの意思が一本通っていないものに、いいものなどあるはずがないのだ。

多数決の民主主義で、いいものが出来るなら、世界はもっと平和だし戦争なんて起きない。


そのためにはまず、中央の誰かが「絶対負けない」こと。

そして、その「絶対負けない」ことに、周りが信頼をおくことだ。

どんな組織も、うまくいっているときは、この関係があるように思う。

私は、この「絶対負けない」一本の芯となりたい。

向いていないかもしれないし、長い道のりかもしれないが、それが目標だ。


私は私の意思を通したい。

その思いから今日も、牌を握らずにいられないのだ。

まずこの「小負け癖」を克服するために。


via SaoReacH
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