恐山奮闘記-東京編つづき-
つづき
裏道うまく使い、4号線に足立区の竹の塚辺りから合流、早速 バイパスと旧4号線の分岐点に当たった。
最初の運命の分かれ道である。これを間違えるか、間違えないか、で疲労が随分変わってくる。
なぜそこまで言うのか、分かり易く説明しよう!
そもそも新道はバイパス、つまり車の為に作られた道路である。そのため、街の中心地を大きく迂回する形で作られており、旧道よりも距離が長くなる。しかも、道路が綺麗で走りやすい利点はあるのだが、大型車が多く、しかもスピードを出して走行しているため非常に危険である。また、陸橋などには、自転車が走ってはいけない標識まででているため、途中で戻らなければならないこともある。
それとは反対に、旧道については、道が狭く交通量が多く走りにくく、歩道を走らないと行けない場合が多く、その歩道についても歩道と言うだけあり、平らに作られてない事が多く、スピードを出すことはもちろんのこと、長時間走った時の敏感なお尻には非常に刺激が強い!また、既に県道扱いになっているため4号線という表記がされていたない。
さあ!君ならどうする!?
今回は私達は、旧道を目指した。
理由は、自転車の走れるスペースがなかったからである。
そんなわけで、まだまだ、余裕のある私達は、旧道をのんびり越谷、春日部方面に北上したのでありました。
つづく
恐山奮闘記 -東京編-
8月23日(月) 天気 晴れ
午前二時 起床、午前三時半過ぎに友人宅へとバイクで向かう。
全くワクワク感もなければ、楽しみもない、あるのは憂鬱と後悔だけである。
「どうしてせっかくの夏休みにこんな事をしたのだろう」
本当に自分自身のばかさ加減に嫌気がさした。
一時間程で友人宅に到着、出発の準備に取りかかる。思ったより時間が掛かり、出発は午前5時になってしまった。
憂鬱な気持ちを必死でかき消し、心を決めて出発、経路については基本的には、4号線を真っ直ぐ北上すれば青森へとつながる。至ってシンプルな道なのだが、そこには、上り下りの山道、陸橋、歩道がない橋、そして国道の旧新道、選びというものが存在し、この旅を制覇がするためには、いかにこの事を上手く乗り越えるかが鍵になる。
この事については、追々旅が説明させてもらう事にする。
次に自転車について説明しよう!
今回はママチャリでの挑戦と言うことで、当然ママチャリではあるが、そこらへんのただのママチャリではない。
実を言うと私のママチャリには、
低、中、高のスペシャルな変速機が付いている、送料込みで15000円で購入した。ファンキーなママチャリだからである。
走り方については、
一般的に素人は、一番重い高速で走ってしまう。短時間走るならそれでも良いが長時間走るとなるとこの走り方では疲れてしまう。
その点、私のようなプロフェッショナルになると、中速に設定し、回転数はあがり、スピードは若干落ちるものの、足への負担はなるべく少なく、常に足が動き体が常に温めることができ、高速設定にしたときもスムーズに足が動くのである。
そして、それをベースに上手く変速機を状況に合わせて使いこなしながら長い距離を走ることが大事である。
この様なことを常に頭に入れ、私達は恐山を目指した。
さあ、これからの数多くの試練を乗り越えなければならないことになるが、今はまだ二人は分かるはずもない。
つづく
特別編!!恐山奮闘記
8月22日(日)天気晴れ
ソアラーズの公式戦を終え、午後から恐山に向けて出発し本日中に宇都宮入りを目指す計画であったが、ゲーム終了後、自宅に着いたのが既に四時をまわっており、これから友人宅にて彼と合流するとなると六時を回ってしまう、彼は、それでも今日中に出発したいと言ってきたが、私の粘り強い説得の後、本日中の出発は中止とし、明日の早朝に出発して距離を伸ばそうと決めた。
なぜ、彼はそこまでして、今日中に出発したかったのか?先を急いでいたのか?
それは、今回の計画があまりにも無謀で時間がないからである。
自転車を送る時間と帰る為の準備、駅までの時間を考えるとどうしても恐山到着は土曜日のお昼過ぎまでとなる。最短距離で770キロを5.5日間で制覇するためには一日あたり約140キロ以上走らなければならない。この140キロというのは大体東京から栃木県の那須まで150キロで想像していただければわかると思う。しかも
信号機がなく、平坦で、自転車が自由に走れる所ならいいが、そんな事があるわけがない。ましてや、三段変速こそ付いてるものの車体が思いママチャリでこの無謀な企画に取り組もうとしているのだから、半日のロスが命取りになりかねないからである。
しかし、半日走って野宿をし明日また先を目指すよりも、今日はゆっくりと休み明日の早朝から出発したほうが、体力的にも距離的にも効率的であると計算した。
そこには、一見緻密に練られた計画のようにも見えるが、実は、私自身、干物系のため、ただ単に今日出発するのがめんどくさくなっただけであったのでした。
つづく


