家の近くには狭い道がいくつかあって、

その中には交差点で4方向全て停止線があるところもちらほらあります。

 

そこを通る時に他の道から車が入ってくることもよくあるけど

停止線で止まった後にスムーズに交互に交差点に入っていく。

知らない人同士なのに

スッとうまくいくよなっていつも思います。

 

 

そしてそう思った時にいつも思い出すのが

会社で働いていた頃の話。

 

シンガポールに4ヶ月ほど行ってた時に

当時趣味で乗ってた自転車をシンガポールで購入して

よく走っていました。

 

その時に何度か

道を渡りたいなと思っていると

反対車線の車がパッシングしてくれるので

「よかった」と思って渡ろうと思ったら

そのまま止まることもなく通過していって

危なかったみたいなことがありました。

 

 

なんどかあってわかったのですが、

シンガポールではパッシングは

自分が行くよ」というサインなんですね。

 

日本では

「どうぞ」みたいなサインなんですが、

 

国が変わればその意味も変わる。

 

「主張」する国民性と

「譲る」国民性の違いなんだろなと当時思った記憶があります。

 

 

冒頭であげた交差点の譲り合いも

日本という国である程度同じベースを持っている人同士だから

それなりにスムーズにいくことなのかもしれないですね。

 

 

そういえばヨーロッパではラウンドアバウトという

こんな感じで

 

停止線も信号もなくてこの環状の道路に侵入するという形の道路が多いです。

 

これだと環状部分を同じ方向に回っていきたいところで

そこから離脱することで

環状が優先で同じ方向にみんな侵入することで

優先順位がしっかりと決まっているので

困らない

 

はっきりと形にすることで

知らない人同士での阿吽の呼吸みたいなものに頼らない

交通の形をとっているんだろうなと思います。

 

事故の可能性もある道路に各自に任せる部分があるというやり方は

たしかにどうなんだろうと思う部分もありますが、

それでもうまくいくこの国民の感覚というのはとても素晴らしいなと思います。

 

 

 

ところで、この話って道路交通についてで、

どっちがいいとか悪いとかないです。

 

日本で左側通行するのも

世界共通で信号の赤が停止なのも

ルールなだけで優劣がないです。

 

 

なので国民性の違いはあるにしても

「こっちが正しいんだ」と揉めることって少ないですよね。

 

 

 

それはある程度同じベースの上に立っているから。

道路交通法とパッシングのようになんとなくそうだよね

という共通ルールがあるからだと思います。

 

 

ただ、

例えば政治だとか経済だとか医療とか

 

色々な人が色々な意見を持つジャンルになると

「正しさ」を証明しあったり

ぶつかりあったり

ディスりあったり

 

などよく見かけます。

 

 

それぞれの意見はあると思いますが、

根本的に基本となるベースが全く違う

というのが大きな原因だと思います。

 

生きてきた人生、

経験してきたことから学んだ教訓

家庭や仕事の環境

サラリーマン?個人事業主?といった立場

 

何もかもが全然違うから

どんなジャンルでも山のようにある意見から

自分を作り上げてきたものに近い意見をベースとする。

そしてそのベースの上に立って意見を述べるから

そりゃ合わない人も多いですよね。

 

で、SNS上だと文句も反論もしやすいから

戦う人を見かけることもおおいです。

 

 

でも、思うのですが、

ベースが違う生き方の人に

正しさを主張して戦うこと

論破すること

 

そこにどれほどの意味があるのだろうか?

 

ほぼ全てのことで完璧に正しいなんてないです。

比較的正しいがはっきりとする科学の分野でも

それが全否定されるなんてこともあります。

 

だから社会のありかたなんてなると

どれが正しいかなんて

人によって

その時によって

ガラッと変わってきます。

 

なのでベースが違う生き方の人もいるよねと

意見の内容ではなくて意見の存在に寛容になるというのは大事だと思います。

 

その上で

 

自分の意見をはっきりと持ち、

 

全く異なる意見の人とは少し線を引く

すっと離れる

 

ジャンルによっては意見が近ければ

すっと近づく

 

そんなある意味適当な感じの関係が

あちこちでできると

とても軽くなる気がします。

 

 

以前に陰陽五行についてセミナーにいったときに

これから大事になるのは「赦し」というお話を聞きました。

 

 

「許可」ではなく「赦し」

 

 

違う意見をいいか悪いか判断するのではなくて

 

そのままを受け入れる

 

そんな感覚なのかな。

 

うまく言葉で伝えられないですが

 

「赦し」という感覚をもって

 

もっと軽やかに

 

もっと素直に

 

生きていく

 

これからの時代に必要な感覚だと思います。

 

 

 

 毎日の珈琲の在庫が少ないです

 

本日は毎日の珈琲の焙煎が多く、

 

いちどに2kg以上のご注文も。

 

 

 

最近は毎日の珈琲の在庫が逼迫することがおおいです。

 

現在も少ないものが多いです。

 

少しお待ちいただくことも増えてきそうです。

 

 

 

なお、幸せの珈琲も在庫が少なくて、

 

癒し珈琲だけが多いという

 

松竹梅で

 

竹が最も残って松と梅がすくないという

 

不思議な感じになっています。

 

価値と価格

 

商品のありかた

 

Só Aquiの思う珈琲の価値

 

お客様の珈琲の価値

 

いろいろなものの修正が必要なのかもしれません。

 

それこそ色々な考え方を赦しつつ、

 

自分の意見をはっきりとする

 

それが大事なんだと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

妻と一緒に

 

Só Aqui(ソーアキ)という屋号で

 

 

珈琲の販売ならびにトレーラーカフェの営業を行ってます。

 

 

1粒ずつすべてを分ける「オールハンドピック珈琲」や

 

洋酒の香りがしながらノンアルコールの「ディップド珈琲」

 

などほとんど見ることができないこだわり抜いた珈琲を取り扱ってます。

 

Só Aqui HP

 

 

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