四万十川にて~2002年秋
2002/10/25(金) 19:35
10月19日から21日、2泊3日で高知県西土佐村へ行ってきた。西土佐村へ行くのはこれで5回目だ。大阪から約6時間。少し乗り物酔いしていて体調が芳しくなく、今日は酒を飲むのはやめようなどと思っていた。しかし、幼い娘二人とともに駅まで迎えに来てくれた民宿のご主人は、お好み焼きが食いたいといって店に入り、おもむろに生ビールを差し出すのだ。僕の意志に反して手がするりと伸びる。。。
2杯目を飲み終わる頃にはお好み焼きも出来上がり、乗り物酔いの気持ち悪さはどこかへ消えていた。
車で山道を30分程走ると集落に着く。人口100人にも満たない小さな集落だ。
宿に着くとまずは風呂に入る。そして、食堂に行くと村の青年がなにやら話をしに着ていた。
その人と、宿の家族と一緒になって鍋を囲む。きのこや魚、鶏肉。餅やこんにゃく。自家栽培の野菜などなど大量の材料がテーブルに並べられた。
こんなに食えるのかというくらいの量だったが、結局全てたいらげ、雑炊で〆た。
11時就寝。
2002/10/25(金) 20:06
四万十川にて~2002年秋②
2日目。
旅に出るといつも朝早くに目が覚める。日常生活を離れた緊張感がそうさせるのだろうか。
この日はなんと4時前に目が覚めた。辺りはまだ真っ暗だ。朝飯前に辺りを散歩して風景写真を撮ろうと決めてはいたが、まだ早すぎる。
初めてこの集落を訪れたのは3年前の春。カヌーで川を下ったのだ。宿泊は全てキャンプ、食事は自炊だった。河原でテントを張って寝ていると、朝6時のサイレンでたたき起こされたことを懐かしく思い出しながら、もってきた本を読んで時間を潰した。
読んだ本は「知のハルマゲドン」小林よしのりと浅羽某の対談形式の本である。このような自然に囲まれた環境で読むような本ではないとは思うが、朝、目醒めた後の頭は非常に冴えており、日の出を待つ2時間ほどの間に半分ほど読み進んでしまった。
田舎に来たらこの類の本を読んではいけないという法はない。
もうそろそろ日の出かな、、と煙草に火をつけると6時のサイレンが鳴り響いた。空襲警報かと思うような轟音が減衰していくと、犬やニワトリたちがサイレンの音に合わせて合唱しているのが聞こえてきて笑った。
デジカメを持ち、散歩に出かけた。曇ってはいるが雨は降っていないのが嬉しい。橋を渡り対岸へ行く。朝焼けに彩られた雲が山を覆う様はため息が出るほど美しかった。来てよかった、、としみじみ思う。
その後2時間ほど歩き、写真を沢山撮った。デジカメの良いところは撮った画像をすぐに観られることだ。
途中、山沿いの小道を歩いていると、山陰から獣らしき存在とおもわれる物音が聴こえてきた。その獣は私の気配に気付き大急ぎで山を駆け上っていくのが何となく感じたが、ズルズル~っと滑り落ちる音がして暫くの間そちらの方向を凝視していると、次第に「お邪魔してすまんな」という気の毒な気持ちになってきたのである。
多分イノシシだと思う。
イノシシや猿などの動物が集落の人たちの田畑を食い荒らすことがあるそうだが、彼らも人間が怖いから、山に餌がある場合は余程のことがないと人里に顔を見せることはないそうだ。だから、獣よけの柵や網を設けている田畑はほんの僅かしか見かけなかった。
近くにある集落の長老は、イノシシに収穫前の田を食い荒らされたときこういう風に云っていたのを聞いたことがある。
「結局、あいつらも生きていかないかんのやけん。腹は立たんのよ。
結局はわしが猟で捕まえて食うけん、餌やって飼うとるようなもんじゃな。はははっ。。。」
四万十川にて~2002年秋③
2002/10/25(金) 20:31
嬉しいことに散歩するうちに少しづつ晴れ間が見え出してきた。しかし西日本全域に低気圧が張り出しているのでこの晴れ間もつかの間であろう。
2時間ほど歩くととても腹が減っていることに気付いた。宿に戻って朝飯だ。
運動した後の飯はとてもうまかった。ご主人は昼はバーベキューをしようという。膨れた腹をさすりつつ「昼間であと2時間位しかないからバーベQは夕方からの方がいいと思う」と意見して部屋に戻った。
そして横になるとそのまま眠ってしまった。
ご主人の呼ぶ声で目が醒めた。3時間ほど眠ったろうか。
「ボーリングしに行くぞ」という。エッ?バーベキューやるんじゃなかったの??
といいつつ、車に乗りボーリング場に向かう。僕はボーリングはとてもヘタなのであまり気が進まないが、折角誘ってくれたのを断るのも悪いのでついていく事にした。
雨が降りだした。
四万十川にて~2002年秋④
2002/10/25(金) 20:53
ボーリング場に向かう途中、昨日宿に来ていた青年の家に寄る。
民宿のご主人は昨日青年に拉致されその家まで夜遅くに一緒に行ったことは知っていた。朝飯を食っているときに、昨晩ご主人は青年の弟子たちに送ってもらったらしい、ということを聞いた。意識不明の重態で車から降ろすのに苦労したそうだ。本人は全然覚えていないとの事。
ご主人はそのときにメガネを忘れてきたらしい。それを取りによったのだった。
その青年の住処に着くと、青年はおいしいコーヒーを煎れてくれた。ゆっくりしていってくれというのだが、
民宿のご主人は昨日のことを根に持っているようで、さっさと立ち去ろうとする。
小学3年になる娘がいて僕にサッカーボールを蹴ってよこす。遊んでほしいのだ。
俺としてはボーリングよりも、ここに留まって娘と遊んであげたかったが。。。
10分ほどいただけでボーリング場へ向かった。ごめんよ。今度くるときにはおじさんとゆっくり遊ぼうな。
ボーリング場は日曜日ということもあり盛況だった。家族連れが殆どだったが、隣の40代後半と思しき男性はやけに上手だったな。
今まではカヌーやその他の目的をはっきりと持って訪れていたのだが、そのときの気分で動くのも良いものだ。
雨が強くなっている。雨の中集落に戻った。眠くて仕方がない。部屋でまた寝ようと思ったが、宿の幼い二人の娘たちの襲撃を食らう。
子供たちは遊んでほしくて仕方がないのだ。寝るのはあきらめバーベキューの用意が済むまでの間は子守役。 ↓
四万十川にて~2002年秋⑤
2002/10/26(土) 17:02
雨なので外で遊ぶわけにも行かず、部屋の中でプラスチックの玉を使ったキャッチボールらしきことをした。
4歳の長女はまだ力の加減がわからず、狭い部屋でのキャッチボールでも全力投球してくるのでおそろしい。
が、力がないので大したことはない。キャッチボールをするときは相手の胸のところを狙って投げるのだぞ、、、と教えるが
なかなかうまくいかない。。。
5日後からこの地で国体が始まる。関西方面の壮年野球チーム23名がこの宿を利用する予定になっていると話を聞く。
金は出さないが、飯と宿は面倒をみる。だからその間子守と雑用をしてくれないか?と
頼まれた。子守も民宿の手伝いも悪くないが断ることにした。10月待つまでの間は自由にのんびりと過ごしたかったからだ。
そしてそのような長期滞在するだけの用意はこちらはしてきていない。
前もって伝えていてくれれば、スケジュールの調整もやりようがあったのだが。
今年は女子大学生がひとり手伝いに来ていたそうだが、子守だけでげっそりとなっていたそうだ。
僕ならば子供を必要以上に甘やかさず、目の届く範囲で勝手に遊ばせると思うし、悪いことをしたら体罰も辞さないけどいいか?
と聞いたら「叩いてくれるぐらいのほうがありがたい」との返答。
炭の日が熾った。四万十川が一望できる4畳半ほどの広さのベランダでバーベキュー開始。
まずは鮎。冷凍鮎を凍ったまま焼くのがコツ。生が手に入れば最高だがこの時期は禁漁期なのでそうもいかない。
夕暮時、雨に煙る山々はまるで水墨画のように思えた。数羽の水鳥たちが餌を求めて川に降りている。
ビールを手に熱々の鮎を頬張る。なんと上品な味だろう。きのこと肉のバター炒めが出た。
四万十川にて~2002年秋
2002/10/28(月) 13:07
宿のおじいさんも参加。おじいさんといっても私の父と同い年だ。
7年ほど前に定年を向かえ現在は悠々自適の毎日らしい。酒好きの気の良いおっちゃんだ。
西土佐村は行政上では高知県幡多(はた)郡に属する村だ。この辺りの方言を土佐弁とはいわず幡多弁という。
おじさん、おっちゃんのことを畏敬を込めて「おんちゃん」と呼ぶ。30歳のおんちゃんもいれば85歳のおんちゃんもいてバラエティ豊かである。
85歳のおんちゃんの場合は書くなら「爺ちゃん」となるが読みは「おんちゃん」となる。
おんちゃんは嫁に「おい、肉を焼いてくれ」とせがんでいる。その肉を見ると500gくらいはありそうな巨大なものでたまげた。
熱燗の入ったとっくりをおんちゃんに手渡すと、おんちゃんは妙に恐縮した。
そうだった、一応俺はお客さんだったのだ。忘れてたよ。
うなぎを焼きはじめた。四万十の天然うなぎは初めてでわくわくしながら焼ける様を眺める。
はじめは素焼き、身が白くなって少し焦げ目がつきはじめるとタレに漬けまた焼く。
それを3回ほどやると出来上がりだ。炭火というのは火力が強くボ~ッとしているとすぐに焦げてしまうのでなかなか忙しい。焼きあがったものを神妙にいただく。。。当たり前だがいつも食べている養殖のうなぎとはモノが全然違う。
まず歯ごたえ。身がぎっしりと詰まっていて噛むと口の中で身が増えていくように感じるほど。
うなぎの蒲焼にも大まかには2種類あるが、このように白焼き(素焼き)する方法と蒸す方法がある。
蒸す方法は身がふんわりと柔らかくなるがうまみが逃げてしまうような気がする。焼く方法だと身はかたくなるが咬めば咬むほど味が出るような感じがする。
酒のつまみに絶好の蒲焼だった。
四万十川にて~2002年秋⓻
2002/10/28(月) 13:26
養殖ものと天然ものの違いはなにか?というと単純に過ぎる言い分かもしれないが、それは、脂の量ではないかと思う。
鯛やハマチの天然ものと、養殖ものを食べ比べるとそれがよく判る。養殖者の方がうまく「感じる」。天然の方は身は締まっているが脂分が少ないので正直物足りない感じがするのだ。
で、その養殖ものの鯛と天然の鯛の白子を素焼きにして食べてみた。養殖ものの白子はエグくプラスチックを焼いたような変な臭いがする。味も悪くとても食えたものはない。
対して天然ものの白子は、いやな臭いやクセは全くなくとても上品かつコクがあるのだ。
言うまでもないが、自分で餌を探す苦労がない代わりに狭い檻に閉じ込められ、病的なほどに贅肉を蓄えさせられた魚と、
痩せてはいるが自分で餌を探し、自由に川海を泳ぎまわったもの。
どちらが健康なのかはいうまでもないだろう。
尚、私は養殖ものを否定しようとしているのではない、私も脂の乗った魚や肉はうまいと思う。
ただ、自分の健康を考える上でどちらを選ぶべきか?ということで少し考えてみたかったのである。
四万十川にて~2002年秋⑧
2002/10/28(月) 13:38
腹がそこそこ膨れ、酔いも心地よく回ったころ辺りは夕闇に包まれてきた。
昨晩と違い湿気を大量に含んだ生暖かい空気とともに虫が光めがけて飛んでくる。
昨年の5月にカヌーでこの集落に辿り着いたときも土砂降りの雨だった。
短パンをはいていた私は獰猛なやぶ蚊に足を刺され土砂降りの中テントを張り潜り込んだのだった。
寝袋に入って体が温まると血行が良くなるのか痒さが倍増し、文字通り芋虫のようにテントの中でうごめいていたのだ。
そのときの夕食は、菓子パンとチョコレートだった。なんとも侘しい夜だったな。
それに比べると今宵のなんと豪奢なことか。そのことを思い出すとまるで自分が殿様にでもなったかのような気分になるのだった。
私はこれも一興と、口に飛び込む虫をぺっ、ペッと吐き出しつつひとり悦に入っていると、
宿のご主人は「これはタマラン。中に入って二次会じゃ」といそいそと食堂へと戻ってしまった。。。
四万十川にて~2002年秋⑨
2002/10/28(月) 13:57
鯖の刺身が出た。〆さばではなく生の刺身。今朝釣り上げたものを貰ったという。
鯖の生きぐされ、といって鯖は最も足の早い魚だ。だから生で食べるとするなら余程新鮮なものでないと
「当たって」しまう。だからなかなか食べる機会はないのだ。
正直食べるのに勇気が要ったが、当たってもよいから食べたかったという気持ちが勝る。根が卑しいのだ。
美味しかった。秋鯖の刺身。
30 名前: so-A 投稿日: 2002/10/29(火) 03:24
【エッセイ~四万十川にて10~最終回】
昨年の夏にこの宿に泊まった時、学生が二人手伝いにやってきていた。
一人は千葉から、もう一人は岡山から。国土交通省のアルバイト、地方の民宿に住み込んで2週間手伝いをし、そのレポートを省に提出するとバイト料がもらえるということだったと聞いた。
岡山からきていた青年は今年の春に大学院を卒業すると同時に隣村へ越してきたのだ。
その青年Kくんもやってきていてボーリングとバーベキューに参加していた。無口な青年なのであまり話はできなかったが現在の生活について少し訊いてみた。
山を保全する仕事をしており、地元の人に庭付きの一戸建てを借りて住んでいるとの事。家賃は3,000円だそうだ。周りに外食できるようなところがなく毎日自炊。
話したのはそれくらいのものだった。昨年の夏会った時には色白でひ弱そうな感じだったのだが、日焼けした彼は体もひと回り大きくなり顔つきも引き締まり逞しい青年に変貌していた。
過疎の進む日本の地方では、彼の現在住む村は若者の移住が多く過疎率が低いのだそうだ。
都会にばかり目を向ける若者が多い中、このような青年がいることに頼もしさを感じると同時に羨ましさで胸が痛かった。
彼は風呂に入ると帰っていった。その後3時間ほど呑み部屋に戻って布団に潜り込むとすぐに眠りに落ちた。
翌日は6時のサイレンがなっていることにも気付かず良く眠った。起きたのは8時を過ぎていたと思う。
雨は上がり晴れてきている。風景撮影をしに出掛けた。昨日の朝より何倍のも光に包まれた四万十川の風景は僕の気分をも軽やかに明るくさせる力を持っていた。
1時間ほどで宿にもどり朝食。デジカメのバッテリーが切れかけているので充電する。急速充電のアダプターではないのでやたらと時間がかかる。
それを待つ間は横になり本を読み、時たま窓から見える景色を眺めると、風が吹き雲が流されていくのがわかった。
充電が終わると又散歩に出掛けて撮影。商店によって焼酎とワインを土産に買う。
商店のおばちゃんが自分で撮影した四万十川の写真を5~6枚と「ブシュウカン」という酢橘のようなものをくれた。
昼過ぎにご主人が戻り駅まで乗せて行って貰った。じゃあ、又機会があったら着てくれ、といいご主人は帰っていった。
大阪に着いて在来線に乗り換えようとすると人の多さに嫌気がさす。
今回500枚以上の画像を撮影した。ヘタな鉄砲でも数撃てば当たるようで良い写真もいくつかは撮れていた。
僕も田舎暮らしをしたいという気持ちがどんどん膨らんでいく。そろそろ本格的に計画をたてようと思い始めている。
四万十川にて~2002年秋⑩
あとがき
この掲示板に書き込むときはいつもそうなのだが、ぶっつけ本番で書いた。
自分で読み返してみると、誠に拙い文である。思いつくままに書くとこうなる。
この文を叩き台としてもっと練り込んだものをいずれは自分のHPにでも掲載しようと思う。
こういった旅での出来事を書いていると、過去の旅でのことが鮮明に蘇って来る。それはその当時感じたり考えたりしたものとは違う新たな思いを
僕に与えてくれることにもなった。
