Shiiの『育児イロイロ☆ナナイロブログ』 -21ページ目
地震が起きたとき、

私の状況を少しずつ、

記録していこうと思います。




3月11日(金)は、


朝9時頃に、旦那が帰宅。




3月7日(月)~3月9日(水)までの山形出張が、


仕事の作業追加と、月山の通行止めにより二泊延泊。


仙台の自宅に戻ったのは、金曜の朝。


3月11日の朝だった。


お客さんとのお付き合いで買っている、

ウォーターサーバーの替えのボトル(12リットル×3)を持って帰って来た。


(その後、この水に救われることになる。)



旦那は、作業着からスーツに着替え、会社に出社するのを娘と見送った。




13:37

仙台にいる弟から電話が。



弟「お母さんから聞いたけど、灯油無くなるんじゃないの?詰めに行くなら手伝おうか?」



と電話をもらった。



でも先日、近所で灯油を宅配してくれるとこをみつけて、入手済み。



私「灯油は買えたんだ!暇なの?遊びに来る?任せるけど」


弟「もう駐車場だし、行こうかな」



(この選択も、後に救われることになる。)




2時過ぎに、弟がおでんを買って遊びに来た。



弟になついている娘も、おおはしゃぎ。


娘はお昼を食べたのに、
味を薄めたおでんの大根を
美味しそうにパクパク食べた。



そうして、みんな食べ終えた頃だった。





14:46


弟と私の携帯が、

聞きなれない音を発して、

緊急地震速報を伝えた。



その直後だった。
今になって、気を抜くと涙が出ます。



また詳しく書きますが、



避難所に二泊、


旦那実家に一泊し、


昨日、私と娘だけ安全策で山形の私の実家に避難しています。



旦那は会社に行かなければならず、宮城に残りました。



何より娘を優先。



守ることだけ、生きること、生かすことだけを考えて気を張り続けていたようで。




昨日、震災ぶりに山形でお風呂に入り、





何かが抜けて、涙が止まりませんでした。



まだ旦那も、お風呂に浸かれていないのに。



そして、トラウマのような恐怖感に襲われる。




新聞ではなく、映像で被害を見るにはまだ辛すぎます。





まだ宮城に旦那も弟も、旦那家族も、友達も知人もいっぱいいます。



ライフラインが絶たれたまま、頑張って踏ん張っています。




応援する側に回ってしまい、心苦しくなってしまいました。




でも、泣いていられない、


まだまだ皆頑張っている。



連絡が取れていない友人も、きっと頑張って生きている。



強く勇気づけていかなければ。







とにかく、私は幸いマンションも復旧して戻る家もあるし、



山形も宮城の家族も無事だし、



避難所も暖かい方で、ご飯も少なからず食べれました。



娘には不敏な思いをたくさんさせても、



娘は元気に笑ってくれていたのが、何よりの救いでした。





大きな被害を受けた方々が、少しでも早く一人でも多く日常に戻れることを切に願います。





たくさんの支援に感謝です。




頑張って生きます!