地震が起きたとき、
私の状況を少しずつ、
記録していこうと思います。
3月11日(金)は、
朝9時頃に、旦那が帰宅。
3月7日(月)~3月9日(水)までの山形出張が、
仕事の作業追加と、月山の通行止めにより二泊延泊。
仙台の自宅に戻ったのは、金曜の朝。
3月11日の朝だった。
お客さんとのお付き合いで買っている、
ウォーターサーバーの替えのボトル(12リットル×3)を持って帰って来た。
(その後、この水に救われることになる。)
旦那は、作業着からスーツに着替え、会社に出社するのを娘と見送った。
13:37
仙台にいる弟から電話が。
弟「お母さんから聞いたけど、灯油無くなるんじゃないの?詰めに行くなら手伝おうか?」
と電話をもらった。
でも先日、近所で灯油を宅配してくれるとこをみつけて、入手済み。
私「灯油は買えたんだ!暇なの?遊びに来る?任せるけど」
弟「もう駐車場だし、行こうかな」
(この選択も、後に救われることになる。)
2時過ぎに、弟がおでんを買って遊びに来た。
弟になついている娘も、おおはしゃぎ。
娘はお昼を食べたのに、
味を薄めたおでんの大根を
美味しそうにパクパク食べた。
そうして、みんな食べ終えた頃だった。
14:46
弟と私の携帯が、
聞きなれない音を発して、
緊急地震速報を伝えた。
その直後だった。
今になって、気を抜くと涙が出ます。
また詳しく書きますが、
避難所に二泊、
旦那実家に一泊し、
昨日、私と娘だけ安全策で山形の私の実家に避難しています。
旦那は会社に行かなければならず、宮城に残りました。
何より娘を優先。
守ることだけ、生きること、生かすことだけを考えて気を張り続けていたようで。
昨日、震災ぶりに山形でお風呂に入り、
何かが抜けて、涙が止まりませんでした。
まだ旦那も、お風呂に浸かれていないのに。
そして、トラウマのような恐怖感に襲われる。
新聞ではなく、映像で被害を見るにはまだ辛すぎます。
まだ宮城に旦那も弟も、旦那家族も、友達も知人もいっぱいいます。
ライフラインが絶たれたまま、頑張って踏ん張っています。
応援する側に回ってしまい、心苦しくなってしまいました。
でも、泣いていられない、
まだまだ皆頑張っている。
連絡が取れていない友人も、きっと頑張って生きている。
強く勇気づけていかなければ。
とにかく、私は幸いマンションも復旧して戻る家もあるし、
山形も宮城の家族も無事だし、
避難所も暖かい方で、ご飯も少なからず食べれました。
娘には不敏な思いをたくさんさせても、
娘は元気に笑ってくれていたのが、何よりの救いでした。
大きな被害を受けた方々が、少しでも早く一人でも多く日常に戻れることを切に願います。
たくさんの支援に感謝です。
頑張って生きます!
また詳しく書きますが、
避難所に二泊、
旦那実家に一泊し、
昨日、私と娘だけ安全策で山形の私の実家に避難しています。
旦那は会社に行かなければならず、宮城に残りました。
何より娘を優先。
守ることだけ、生きること、生かすことだけを考えて気を張り続けていたようで。
昨日、震災ぶりに山形でお風呂に入り、
何かが抜けて、涙が止まりませんでした。
まだ旦那も、お風呂に浸かれていないのに。
そして、トラウマのような恐怖感に襲われる。
新聞ではなく、映像で被害を見るにはまだ辛すぎます。
まだ宮城に旦那も弟も、旦那家族も、友達も知人もいっぱいいます。
ライフラインが絶たれたまま、頑張って踏ん張っています。
応援する側に回ってしまい、心苦しくなってしまいました。
でも、泣いていられない、
まだまだ皆頑張っている。
連絡が取れていない友人も、きっと頑張って生きている。
強く勇気づけていかなければ。
とにかく、私は幸いマンションも復旧して戻る家もあるし、
山形も宮城の家族も無事だし、
避難所も暖かい方で、ご飯も少なからず食べれました。
娘には不敏な思いをたくさんさせても、
娘は元気に笑ってくれていたのが、何よりの救いでした。
大きな被害を受けた方々が、少しでも早く一人でも多く日常に戻れることを切に願います。
たくさんの支援に感謝です。
頑張って生きます!