Shiiの『育児イロイロ☆ナナイロブログ』 -10ページ目
津波の後の光景は、



以前見た、

戦後の光景と、少しリンクした。




数年前に、

友人の結婚式で広島に行った。



式の翌日、友人達と

仙台への飛行機の時間まで

宿泊したホテルの近くにあった


原爆ドームを見に行った。




綺麗に復興した周囲の景観とは、

違和感を感じるが、

それが逆に、その存在を際立たせていた。




何とも言えない。。。



それから、平和公園に行って



慰霊碑に手を合わせ、



平和記念資料館へ。




ここに入ることには、

すごく抵抗があった。




中に入ると、



原爆投下の時間で止まった時計など、丸焦げの遺留品。


被爆した人のさ迷う様子を模した人形。


そして、


モノクロではあるものの、

被爆した街、建物、人の写真。




恐怖と吐き気で具合が悪くなり、


途中からうつむいたまま、

友達にすがり資料館を後にした。






私の誕生日は、




8月15日。





そう、終戦記念日。






そのためか、
小さい頃から、戦争に対して


無関心ではいられないような、意識はあった。



毎年、誕生日近くのお盆になると戦争を忘れないように、
後世に伝えるために、
特別番組がある。



見ては、必ずメンタルがやられる。





人災と天災を一緒にしてはいけないだろうが、



今回の津波が残した傷跡は、


黒い津波の跡が、


丸焦げになった跡にも似ていた。



そして、被爆や放射能の影響も少なからず、原爆と重なる。






ただ、戦後と違うことは




人間の強さ、優しさ。



被災地の人々が、


日本中の人々が、


世界中の人々が、



この戦後最大の災害を受けとめ、


前向きに、力強く、手を取り合い、支え合う。





東北は、日本は、


きっと大丈夫。







初めて見る、真っ黒な津波の映像。




それは、


悪魔、悪夢そのもの。



恐怖、悲痛、困惑、吐き気、、、




何とも言えない、大きなショックだった。




思わず、画面から目を背けた。





もう、何度かニュースを見ている両親は


嘆きの声をあげながら、画面に食い入る。




私は、片付けに忙しそうに、その場を離れることしか出来なかった。





涙が込み上げる。





何てことをしてくれたんだ。



何をしたというんだ。





悔しいような、苦しいような、




捕らえようのない相手に




ぶつけようのない感情。





自然の猛威。




人間はおろか、



車や建物も、





太刀打ちの出来ない脅威。




受け止めなくては。






これが、現実だ。







落ち着くために、




ふぅーーと、小さく震える息を吐いた。







空腹のため取り急ぎ、父母が山形のコンビニで買ったという、


ちょっと高いカップラーメンを食べる。


娘には、レトルトを温める。



山形に行ったら、やっとご飯作ってあげるからね。




日頃、安いカップラーメンしか食べていないせいか、



地震の後のせいか、




やたら、美味しく感じた。





落ち着かなく、

地震後からようやく、片付けと洗濯を始めた。





母は、散らかったものを拾い片付け、


私は洗い物。


父は娘の相手。



普段、ごく当たり前の


洗濯や洗い物、掃除機、調理。




それ以前に、



スイッチを押せば電気が付く、

蛇口をひねれば水が出る、
湯船に浸かる、

暖かい食事、

暖かい布団で眠る、、、



家がある。


家族がいる。


命がある。




ごく当たり前で、

当然のように、存在していると思っていたものが、




一瞬で覆される。






こんなに恵まれていて、

何不自由なく、

発展している現代でも、



こんな事が起きるんだな。






マンションの下にワゴンを停める。


マンションの郵便物を取り、
入居者専用の鍵を指すと、
自動ドアが開いた。


電気が通ってる!



しかし、エレベーターはまだ動いていなかった。



結局、また非常階段から、鍵で扉を開け入った。



父と母も部屋に入り、状況を見た。


壊れた物もなく、安心していた。



復旧の確認。


まず電気だ。


ブレーカーを上げる。



電気が付いた!



急に、ホッとした。


しかし、水は…






出た!






ガスは…






付いた!







あれ、すべて復旧!?




山形に帰る意味、無くなった!?




急展開に、


どうしょうどうしょう、と戸惑った。



愛子で生活できるとなったら、


旦那のためにも、残るべきなのか。


両親もわざわざ来てくれたが、どうするか任せると。


まず、旦那にすべて復旧のメールをした。




旦那からは、復旧を喜んでいたが、

安全のため、二人は山形に避難しなというメール。


そうだ、そうだね。


ちょっと、急展開に困惑してしまった。



まだ、この時は


17日か18日までに、

70%の確率で大きな余震が来ると言われていた。


とりあえず、週末まで様子をみることにした。




メールだ。

昨日、旦那さんと連絡が取れないと言っていた友人から。

旦那さんと連絡が取れ、ヒッチハイクで仙台に向かっているとのこと。


良かったー。本当に良かった。



ようやく、ひと安心して


水道をしばらく出してから、お湯を沸かした。



テレビを付けた。




地震の日、


弟の車で、ワンセグを見た以来だった。


あまり画像が良くなかったが、



今、目の前に映る鮮明な映像に




声を失った。