日本人にとっての議論について | tsure-dure-naru-mamani

日本人にとっての議論について

議論についての持論

何度か書いてますが・・・


一般的に、日本人の集団においての議論は空気勝負になる

その場の空気を制した者が議論を制す

これに尽きる

だから日本人の一般的議論は真の答えを追求することにならない



これの対極にあるのが、ユダヤ人の議論である

彼らの議論には必ず反対意見がある

反対意見を取り入れない議論は危ない

これが染みついている


日本人は世界に出ていくのであれば

この生き方を参考にしないと道を誤る



たとえば温暖化問題

現状ものすごい勢いで温暖化防止へのキャンペーンがはられている

世間では温暖化を促進するもの=悪者・敵のレッテルをはられる

私は正直温暖化がいい悪いはよくわからない

振り返ってみると、なんとなく悪いんじゃないかと思っているという程度だ

ただ、議論をする際は、反対意見をしっかりあげて議論してほしい

反対意見を言おうものなら、バッシングを浴びるような状況は
戦時中の国賊あつかいと同じだ

正確なデータ・事実を集めて、科学的にオープンに、冷静に議論してほしい



同様に喫煙と死亡率の問題もそう

私はタバコを吸わないが、
たばこと肺がんの死亡率の関係も科学的に議論したほうがいい

たしかに、なんとなく関係がありそうに見える

まあ、解剖をして真っ黒の肺をみれば、悪そうな気はする

しかし、吸っていても肺がんになっていない人もいる

肺がんの罹患率は、自動車の交通量との関係が最も関係が高いというデータもある
※いい加減なことは言えないので、データは別途出します

だから石油のほうがもっとよろしくないのかもしれない

そうでないかもしれない


要するに、ここでも同じだ

いいか悪いかを雰囲気でなんとなく議論するのではなく、
冷静になって科学的に議論すべきだ

それが担保されない議論は
正直クエスチョンマークである

意味がない

キャンペーンで空気をあおるのだけはやめてほしい

必ず道を誤る

それが言いたい



この日本人の病気を治す方法はないものか


ひとつの可能性としてはユダヤ人的なやりかただ

議論の仕方を法廷のように
ルール化、形式化するやりかたがいいだろう

弁護士と検事が対等に議論しあう

無駄でまどろっこしい部分もあるが、
間違いが少ない

これを習慣化するのがいいかもしれない

日本人のDNAに刻みこむような習慣にしたほうがいい

であれば、天皇に一声かけていただくほかないか