とらわれない素直なこころ
最近新人が入ってきて
既存の業務を引き継いだり、教え込んだりすることが多いです
業務をこなしながら落とし込むのもなれてないと、すんなりいかないものです
たしかに、既存の業務の先輩としては、そんなの当たり前なんですが、
逆に教わることもたくさんあることに気づきます
新人がわざわざ教えてくれるわけじゃないんですが、
教える立場で、人に伝えるためには、
より自分のやってる業務内容を客観的に把握する必要があるからです
業務内容だけでなく、考え方や文化も、ちがう刺激がおもしろいですね
幕末の長州藩(山口県)
吉田松陰というえらい先生がいました
藩主の家庭教師のような仕事もしているほどの知識人です
あるとき、そんな先生が政治犯として投獄されました
牢獄の中には何人か囚人がいました
松蔭は牢獄に入ってすぐ、各囚人たちに提案します
自分の得意なことを各自交代で、講義するということを
書の得意な者は書道を
歌の得意な者は詩歌を
さまざまな境遇で牢獄に入った人たちは、この提案にとまどいますが、
何をすることもできない状況で、自分が人に教えるような立場にたつ、人の役にたてる立場にたつという経験がなかったため、非常にモチベーションが高まります
牢獄ではなく、松下村塾でも常にそうでした
どうしてこのようなことができるのか
そういう発想ができるのか
それは、松蔭が人のいいところを見つける能力が天才的だったからかもしれません
そして何よりも謙虚に常に人から学ぶ姿勢があったからでしょう
人の悪いところを指摘するのはいくらでもできますが、
人の長所を見つけ、それを認めるということは、
見つける能力よりも、謙虚さ、素直さが重要なんではないでしょうか
松下幸之助の
とらわれない素直なこころ
ソクラテスの
無知の知
仕事をする以前に、このことを常に実践できる姿勢をもちたいものです