死刑制度の可否!?
ブログネタ:死刑について考えてみる
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死刑制度
大多数の日本人の感情からいったら、あって当然と思える。
今回の死刑判決でも、当事者ではない、なんにも考えていない一般人の立場からみたら、特別違和感を感じない。
報道の内容もかなり偏っているかもしれないが、大弁護団の言い分は無理があるように思えるのも自然かもしれない。
ただ、
たとえば、
大多数がそう考えるんだから、
日本は民主主義国で、多数決で死刑制度を受け入れるんだから死刑制度は正しい、
という理由は危ない。
そんな低次元の人がテレビにでて真剣に議論していた。
上記のように死刑制度に関する議論は数多くあるが、それらのレベルは上記のようなレベルにとどまっているのが実情だ。
今後、おそらく死刑制度は廃止の方向に向かっていくだろう。
これは歴史的、世界的な流れだ。
ただ、問題なのは、現段階の多数の日本人にはどうしても違和感を感じてしまう点にある。
なぜか?
それは、多くの国民が、人権の考え方を十分に理解していないからにほかならない。
間違いないだろう。
それを時間をかけて、浸透させていくまで、議論は絶対にかみ合わない。
まあ、理解できないのは当然だろう。
教育システムに十分取り込まれていないんだから。
日本国憲法の3本柱の一つは基本的人権の尊重だ。
覚えなさい。
では理解できるわけないじゃないか。
背景から何から理解がなければわかるわけがない。
一般の教師も理解しているとはおもえない。
そこそこ理解があるのは、裁判官・検察官・弁護士か、法学部の一部の生徒ぐらいでしょ。
歴史的背景からなにから、じっくり考える時間も余力もなければ、絶対に理解できないとおもう。
だから、
最大の問題は、人権の議論の最先端と、一般国民の認識の乖離にある。
=人権思想についての教育システムがないところにある。
そこで、
これを小学校のころから、第一の最重要科目『人権』として取り入れることが重要だ。
そもそもの、議論をする大前提をきっちり作るしかない。
欧米のエリート教育は、紆余曲折あるが、何百年もかけてやってきた。
2000年以上前のエリートローマ人のほうが、現在の一般の日本人より、ある意味人権意識が高かったろう。
それを国民レベルでやるべきだろう。
それを踏まえたうえで、議論をしないと、まともな議論はできない。
一般人には理解できない。
だから、死刑制度の可否は、本当はそっからスタートするべきだ。
当面は、一部のエリートの間の議論でおわり、それを内心、なんかおかしいなと思いながら、受け入れるという事態になるだろう。
おそらくまちがいない。
ただ、それを受け入れた上、同時並行で、教育システムを構築すべきだ。
それをやっていくうちに、真の意味での人権に根ざした社会が構築されることになるだろう。
そもそも西欧発の人権が正しいのか、とか、人権思想を変化させるような議論もわきあがってくるはずだ。
きりがないので、いったん終わり。