義理人情
義・理と人情は別物です。
組織に義・理は存在し得ますが、
人情優先になるとおかしくなります。
決定方法が人情だと、嫉妬を生みます。
専ら人に情を訴えて、取り入ることになります。
もし決定が意図と違った場合、人情の取り入りが失敗したということになって、嫉妬になります。
そして、その決定は論理的な反対が不可能になります。
論理勝負ではなくなってしまうからです。
日本組織一般に言えることですが、
義(=正しさ)と理(=論理的整合性)が通っていなくても、人情が優先されてしまいます。
もし人情を捨てた決定をすれば、血も涙もない決定として、反発されるでしょう。
しかし、義・理が通っていなければ、組織の目的には大問題です。
そもそも何が目的なの?という存在意義を問うことになります。
私的な人情は、本来公的な会社組織にはなじまないものです。
旧帝国陸軍や旧国鉄、現代でいえば、社会保険庁や防衛省その他の役所組織、
人情主義が横行している組織は必ず崩壊していきます。
勤務時間中では義・理を極力優先させ、アフターの人生は極力人情を優先させる。
ただ、完全にやろうとするとひずみが出るので、あくまでその許容度が重要になります。
なかなか難しいですが、これがバランス感覚ではないでしょうか。