寛容の精神 | tsure-dure-naru-mamani

寛容の精神

カエサルがルビコン川をわたるとき

『賽は投げられた』

といったのは有名な話だが、

それまで腹心の右腕として最も信頼していた部下が、敵方へ寝返ってしまった。


しかし、

『自分は常に自らの考えに忠実でありたいと思っている。

当然他の誰もがそうあって当然と考える。』

と言い放ち、再び刃を向けてこようと、意に介さなかった。

また、その他反対派に対しても、戦争になり、刃を向けてきても、戦争後に殺したりしなかった。

当然復帰も許す。


カエサルのみならず、ローマの伝統である、寛容の精神。

これは、重い言葉だ。



会社を離れる者、

考えの違いで対立した者、

いて当然である。


改めて、寛容の精神で、人の価値観を尊重しあうことの重要性を思い起こさせる。


常に意識していきたい。