変化について
前回養老さんの脳の話をしたので、ついでに
人間の脳(意識というはたらき)の癖に、私は同じだ、という癖がある。
人を構成する物質は、数ヶ月ですべて入れ替わるそうである。
つまり、皮膚でも骨でも神経でも内臓でも新陳代謝を繰り返しつつ物質的にはまったく違ったものに変化している。
であるのに、夜寝て朝起きたらやはり私は昨日と同じわたしだ、と言い聞かせる。
まあ、たけし君が今日からはすねお君だといわれたら、まわりは迷惑だろう。
社会が成り立たなくなる。
ただ、本質的には日々刻々人は変化しているものである。
10年前のわたしと今の私を写真でみればよくわかる。
変わっていないのは写真の『情報』であって、生身の『身体(自然)』は変化する。
世の中の情報もそれ自体はまったく変化しない。
ネット上の『本日のニュース』も消されない限り、2008年1月20日のニュースとして文字情報は何年たっても変わらないだろう。
しかし、実際のリアルな物、自然は常に変化している。
諸行無常である。
人の心も変化する。
ずっと同じと思っていた自分も変化する。
環境が変われば世の中の見え方も一変する。
極端な話だが、ガンの告知をされたとしたら、おそらくその直前の風景と、その直後からの風景の違いは歴然としていよう。
人格も同じだ。
ある環境にいる自分が別の環境にかわれば変化する。
人間は常に変化するのが本質だ。
要するに、ずっと同じ自分など存在しない。
それは脳が自分に言い聞かせているだけである。
社会的な要請で脳がそうさせているだけであって、本質として自分は常に変化する。
その変化を脳が認めないだけである。
いやおうなく自分は変化するのだから、行き詰っても悩むことはない。
またそこから変化するんだから。
環境がかわっても不安になることはない。
それにあわせてまた自分が変わればいいだけだ。
自分が常に変化するということをわかっていれば、人生悩む必要がなくなる。
何か困っても自分自身が変わるんだから。