Youtubeを視聴しているとCMがちょいちょい入る。広告は動画制作者の

収入になるのでOKOK、ご苦労様です・・・とは思うが、多くない?消費者金融のCM。

なんか気持ち悪・・・と思っていた時にちょうど良さげな本を発見したので冷蔵庫イン。

 

要するに、消費者金融も求められて誕生して、手を変え品を変え、

企業として生き残るために発達したってこと。

 

【要約】

 消費者金融は高利子・違法取立・・・のようにイメージが悪いかもしれない。

しかし、それが存在するのも必要があってのこと。通常の金融機関からは相手にされない

人々に無担保で融資を行うセイフティーネットとして機能している。そうした低信用の人々を

相手にする以上、普通のやり方では生き残れない。彼らは各々の時代背景の中で、

銀行などとは異なる金融技術を発達させてきた。

 

<黎明期>

 明治初期の貧民窟に消費者金融の原型が見られる。低所得者層の居住区で、

金を持たないはずの者が金を貸していた。そこには「義侠心」が金銭に変わる価値として

共有されていた。金を貸す=他者の面倒を見ることで他者の上位に立ち、

周囲からの尊敬を集めることができる。承認欲求が金貸しを後押ししていた。

融資先が顔見知りであるため、低所得とはいえど、貸し倒れを予防することができた。

 

<第一次世界大戦後>

  素人金融がサラリーマンの副業として奨励されていた。融資先が同僚であれば

懐具合や私生活をある程度把握でき、返済能力を見誤ることは少ない。また、黎明期と

同様に、相手が知人であるため貸し倒れのリスクも少なかった。

 

<戦後①>

 労働関係法の整備によりサラリーマンの生活が安定し信用力が増大。一方、

銀行は復興のため生産者への融資を優先し、消費者への融資は後回しであった。

そうした中、「現金の割賦、現金の出前」をキャッチフレーズに、

耐久消費財を求める団地主婦層をターゲットにした団地金融が発達した。

 団地に入居するには厳しい審査をパスする必要があるため、団地住人は公的な

審査を通った状態とみなすことができる。また、夫に隠せる借金であるので

額は大きくなく、露見しないよう真摯に返済する(夫同意の上の申し込みは深刻な

事情がある可能性が高いので断る)といったようなリスク回避の効果があった。

他にも、家賃支払いの領収書確認や玄関の清掃状況からリスク計算を行った。

 素人金融と異なり、相手は顔見知りではないが、このようにして融資先の見極めを

行っていた。

 

<戦後②>

 夫に内緒の借金ではたかが知れ、収入源を持たない主婦相手ではリスクもあり

伸び悩む。この時期から現代にも残る大手、玄人金融が誕生した。

 玄人である所以は、融資先の見極めの手法。主婦ではなくエリート会社員を対象にした。

さらに、融資用途にもチェックを入れた。遊びが派手なほど出生するという

世相であったため、遊興費・飲み代であることが融資条件だった。逆に、生活費の補填が

目的である場合は、回収の見込みが薄いとして融資を断っていた。

 

<戦後③>

 1970年代、団塊世代の老後貯蓄積上げ、高度経済成長による内部留保増大により

銀行は資金をダブつかせており、中小企業や消費者金融にその資金が流入した。

一方、消費者金融各社も各々の努力、銀行への熱烈営業による関係強化(武富士)、学生ローン・電話融資(ヤタガイ)、ローン債権担保借入(マルイト)を通じて低金利で原資を

獲得していた。しかし、ニクソンショックによる不況で、消費者の資金需要は伸び悩んでいた。

 そこで、規模を拡大するために融資先を拡大した。エリートサラリーマンのみならず、

高リスクとされた一般サラリーマンも対象とした。ティッシュ配りによるイメージ戦略で

主婦層も取り込こんだ。資金用途も見直しが図られ、生活費の補填であっても融資可とした。

 顧客拡大のため審査は甘くなり、過当競争を招いた。その結果、高利子の消費者金融

が人々のセイフティーネットとなるねじれが生じた。

 

<戦後④>

 融資拡大・審査緩和によるリスク回避として、同業者間での顧客信用情報共有や、

団体信用生命保険加入の条件化などが行われた。が、後者は債務者の自殺を助長した。

融資側も返済の手段としての自殺を示唆するなど、モラルハザードが生じた。

 高金利・過剰貸付・過剰取立の3Kが社会問題化。グレーゾーン金利の法整備がなされ、

大蔵省主導で外資金融機関への低金利規制(日本市場に参入する場合の金利上限を

低く抑える)、銀行への個人ローン要請が行われたが効果は上がらなかった。

 消費者金融各社は外資の低金利に追随し、むしろ外資参入による業界イメージ向上を

受けて顧客獲得に成功、最終的に外資を駆逐した(自殺者も増えた)。

 

<戦後⑤>

 被害者の会が結成され、貸金業規制法が成立した。グレーゾーン金利は残ったものの、

金利上限が半減以下に規制された。さらに、銀行から消費者金融への融資規制が

行われ、消費者金融は原資確保が困難になり冬の時代に突入した。

 こうした中、各社は銀行との連携を強めメインバンクを持ち、銀行システムの中で

生存を図った。

 

<バブル期>

 ATMやコンピューター導入、リストラ・社員再教育により合理化を進めた。また、過去の反省

から、低金利かつ社会的信用向上を目指し始めた。

 低金利を志向した結果、銀行やカード会社と競合することになったが、小口融資を

多数抱えることでリスク分散を図った。

 

<バブル崩壊後①>

 不景気の中でも、新規顧客開拓ができる自動契約機導入により消費者金融は拡大した。

有人の窓口コスト削減により、低コストでの出店数拡大が可能になった。また、

株式上場やTVコマーシャル進出により認知度・信頼性が向上し、資金調達が容易になった。

出店=>認知度向上=>新規顧客獲得の好循環により最盛期へ。

 が、この頃からフリーターや非正規社員が増加するなど、日本型雇用が崩れはじめた。

融資先確保から、こうした高リスクな人々にも間口を広げた結果、貸し倒れが増加。

 

<バブル崩壊後②>
 闇金や商工ローンの苛烈な取立が注目されると、消費者金融にも批判の矛先が集まった

(実際、多重債務者の多くが、消費者金融からも借り入れをおこなっていた)。嘗てないほどの

批判に晒され、グレーゾーン金利撤廃など規制は強化された。そうした中、各社は銀行

傘下におさまり、今に至る。

 規制強化により闇金が栄えるとの危惧があったが、統計からはそれは伺えない。

一方、SNSやネットの普及から、個人金貸しに再起する動きも見えている。

 

【考え事】

・消費者金融は他者の人生を搾取して破壊するごみ糞カスかと思っていたが、違った。

彼らが貸さねば、他に貸してくれる者がおらず、行き場がなくなる人々がいる。

苛烈な取立も、やりたくてやっているわけでは無い(取立にはコストがかかるから)。

融資条件としての団信加入も、世帯主死亡時でも残された家族の生活が立ちゆくような

仕組みでもある。

 

・集客のための低金利融資を達成するために規模の拡大を求めたが、

その結果として低信用(高リスク)融資を抱えることになった。ある程度のところで、

商売をほどほどにしておけば、貸す側も借りる側も、それなりに幸せだったのでは

ないか?何故、企業は成長し続けるのが前提なのだろう?と考えるのは

独占禁止法に引っ掛かるか・・・。