親子そろって初めて映画を見に行ってきました。一週間前母は「行くよ口笛」当然のような返事にどーせ「やっぱり止めとくわ」と言いそうな気がしていましたが前売りをポチっとしました。
やはり当日「やっぱり止めとくわ真顔指差しの一言いただきましたーーーーっ。
父が「咳が出ても。ストマが漏れたとしてもすべて面倒みるから安心していこう愛」と声をかけたらしく「行きますおねがい」。
 
父は映画の2時間腰痛があり座ってることが苦痛だったらしく横でギーコギーコ姿勢を変えてうるさかった(笑)
 
映画は「難病飛行」筋ジストロフィーの患者の方が書いた本を映画化。不治の病と言われる病気をかかえながら懸命に生きてらっしゃる姿に心打たれると同時に、病気でも「普通」の小学生や高校生なんですよね。「普通」に恋をして、「普通」にゲームをして「普通」に友達と喧嘩もする。そんな内容でした。
 
最近この「普通」という言葉に振り回されております。
 
私の中の「普通」という概念を捨てない限り私のもやもやもやもやは消えません。
 
「介護の普通」はそれぞれ違うのだと最近気がつきました。「他家の普通」に寄り添おうとするとストレスがかかってしまい、意見がぶつかります。それならば寄り添う事を止めようと『義母様のお世話』を止めました。

もともと実娘がいるのですから私の出る幕もなかったのですが・・・。
 
過去の親子の関係、過去の兄妹の関係、全て私の知らない時代の関係なのでそこに目くじら立てていていたら私たち夫婦が壊れてしまいます。
 
私が大切にするのは、今のこの家族であり、昔の私の家族です。
〈昔の旦那の家族〉はその家族のメンバーが「その家族の普通」で大切にしていけばいいと思うのです。
 
私は両親と楽しく、楽しく過ごす限られた時間を大切に過ごしたいと思います。
 
という事で娘が修学旅行に行ってる間に両親と三人で旅行に行ってきま~すOK車