休みも残り1日。

3連休も早いものだ。


新年早々、本格的な記事がこんなことで申し訳ないと思いますが

書かせていただきます。


こんな私ではありますが、最近、物凄く

考えている事があります。


それ、つまり最近考えている事は、

「ここは私の居場所ではない」

そういうことだ。


このままこの様な事に従事していても意味があるとは考えられないのだ。

まあ、ブログの話ではない。


仕事の話だ。


別にこの仕事を非難しているわけではない。

ただ、私にとっては不要の事なのだ。


人間、不要の事を行なうのは辛い。


1月2日の話だ。

私は宿直で営業所にいた。


そこで、働いている人と話し込んだ時に

「やっぱり、好きな事をしないと続かないよ」

という事を改めて知った。


働かなくては生きてゆけない。

だからこそ、好きな事、やってみたい事をして生きてゆきたい。


私は考える。


「人生において学校までは『報われる社会』

社会で働くときは『報われない社会』である事が多い」と。


だからこそ、自分が好きな事、してみたい事をして、生きてゆきたい。

報われなくてもいい。そんな仕事をしたい。

そう感じるのだ。


そうしないと、物事は続かない、

去年の一年で、それがハッキリとわかったのだ。


我侭かもしれない、仕事がない人にとっては、

何を言っているんだと非難されるかも知れない。


でも、この悩みが、私のステージなのだ。

このステージに降り立っている以上、この問題を直視しなくてはいけない。


人として、一人間、nandarou8として、よく生きてゆくには、どの道を歩めばよいのか。


そんな問答の日々が、去年は続いた。

その道が見えた時期もあった。しかし、ドクターストップがかかった。

諦めざるを得なかった。


そして去年の末、「これかもしれない」というものを見つけた。


これかもしれない、いや、これなんだというものを。


世間から見たら、その仕事は一笑に付すものなのかもしれない。

しかし、私にとっては、その仕事は私がするものではないのか?

という物だった。


私の生活がそのまま、仕事に繋がるのではないのか?

という仕事を。


そしてその仕事の先には未来、夢があると感じた。

だからこそ、このように熱く語れる自分がいるのだ。


今の仕事をやめる怖さもある。でも、もうこの仕事は出来ない。

というか、このまま、この会社にいたら、会社に申し訳が立たない。


だから、はやくその仕事を出来るように確約を取り付け、会社を辞めたい。

今はそう感じている。


無謀かもしれないが、タダでその仕事をしてみてもいい、そうも感じている。


私には、帰る場所もある。守るべき物も、今はまだない。

そのような状況で、一体、何に未練を残そうとしているのだろうか。


今年の正月で、親には、「この3月で帰る」という旨の話もした。

無論、今の会社を辞め、してみたい仕事も出来なくなった時の

布石なのだが・・・





心の中で、私の葛藤が続く。


「おい、nanadarou8。お前はこのまま、やりたくもない仕事をして、

一生うだつのあがらない人生で終わるのか、おい、nandarou8!」


「いや、違うだろう、nandarou8。お前は今の会社を辞めるのが怖いんだろう?

自分のキャリアが崩れていゆくのが嫌なんだろう?」


「キャリア?なんだそれ。

お前のキャリアなんて、何もないじゃないか。

小学校でも、野球部で挫折し、合唱部に入った、

中学では囲碁将棋部で責任逃れをし、

友人がいるからと言う事で剣道部に入った。

高校では弓道部に入るも又途中で駄目、

その時はもう他の部活にも入らず、帰宅部だったよな?

今のお前はそんな時のお前とそっくりじゃないか?」


「好きな事をすれば、活路が見出せる。

お前は大学でそれを学んだじゃないか。

単位だって2人分とったし、ゼミでは紆余曲折あったが

結果は残ったじゃないか、何故それを踏襲しようとしない?」


「真っ当に生きれば、社会は決してお前を見捨てない。

そして、真っ当に生きるならば、好きな事をして、

生きるしか他に道は無いんだ。それを判っていながら

何故、道を踏み出さない?何故?」


「お前は今いる会社で学ぶ事はもう学んだはずだ。

学び終わったのならば、卒業しなくてはいけない。

次のステージへと向わなくてはいけない。」


「会社を辞めて、周りの人たちが困る姿を見るのが嫌なんだろう?

でもな、そんな事で仕事に身が入らないお前がその会社にいる事が

困らせている原因そのものだとは思わないのか?」


「お前には養う家庭はまだないし、親も健在だ。

むしろ、お前には失敗しても心休める場所がある。

そんな環境なんだ。だったら何故挑戦しない?攻めない?」


「おい、nandarou8、

お前はもっと人生を愉しむ権利がお前にあることを判っていながら

何故、その権利を行使しない?」


・・・・・・そんな葛藤ばかりだ。

私は大学の時の経験を生かして、気づいたことがある。


それは

「自分が満足、生き生きとしていなければ他人へ恩恵は与えられない」

と言う事だ。


自分が満足すると絶対に何パーセントか余りが出る。

103%とか105%とか。

それから100%を引いた残り、これで人を幸せにすることが出来るのだと。


現に私の大学時代は150%位満足していたのだと思う。

だからあそこまで人の事を考える事が出来た。

人の為に出来た。


それが今ではどうだ。

頑張っても7~80%ではないか?


また、葛藤が続く。

「なあ、nandarou8、お前は天才ではないし、勉強熱心でもない。

でも、大学記録を作れたのは、その行為が好きだったからだろ?

だから、150%、自分を出し切れたんだろ?

今の仕事は好きじゃないことはもうわかってんだろ?

ゼミに顔を出した時、今の職業を聞かれて言葉に詰まった、

その時点でお前は今の仕事に誇りも、満足感も、

そして意義も感じていない、そうだろう?」


そうだ・・・その通りだ。

少なくとも、私は、今の仕事に意義があるとは思えない。

残念ながら。


やはり、辞めるべきなのだろう。




正直、仕事を辞めた後、上手くゆかずに漂流してゆく自分が

いるのではないのかと考えると怖い。

今の生活を見れば、何も不安な要素はない。

むしろ、この年齢では不相応の給料も貰っている。


でも、明らかに欠けているものがある。

それは「成長による経験」と「仕事の満足感」、これである。

とくに経験が欠けているのは辛い。


結局、自分に最後に残るのは、「経験」である。

その経験が残らない。

つまり、その会社でしか生きてゆけない。

それ以上でも、以下でもない。


だから、私は、今の会社を辞めたいと思う。

だから、早く、今、やってみたい仕事の関係者と

会いたい。その結果が来るのがおそらく、1月9日。


そう、私にとって激動の一年、そして正念場になるであろう一年の

始まりは1月9日、明日である。