どうも、nandarou8です。

今日はコラム(実はあるところのエントリーシート内容を少しいじった物)を

「勝ち負け」

 ある人が「人生は勝ち負けの連続である」と発言した。ごもっとも、である。確かに人生は勝ち負け、つまり勝負によって構成されると私も思う、そして、その勝負は必ず全て繋がっていると。

例えば歴史上、戦争という多くの勝負によって今の社会が構成されてきた。最近ではイラク戦争によってイラクは議会選挙という民主化への歩みを始めたこの事は勝負に勝ったといえる、しかしそれで全てが上手く進むわけではなく、自爆テロなど負けに等しい出来事が起こる。

また、世界的に報じられている事だけが勝負事とは言えない。日常生活でも多くの勝負がある。私の一日を挙げれば、まず目覚まし時計で目が覚めるかどうかで勝負は始まる。勝負に勝ったとして目が覚めても今度は起きる事が出来るかという勝負が発生する。この様に、勝負事というのは次へのステップとして存在し、一つの勝負だけでは全体的に勝ったのか負けたのかと言うのはわからない。こう考えると「終わり良ければ全て良し」というのも、納得出来る。

 ここに、他の人が加わると、更に勝負と言うものは難しくなる。例えば、電車内で痴漢を見つけて糾弾しようとしたら自分が犯人と間違えられ、冤罪を被る虞もある。また、自分が製作した作品が失敗作に終わったと感じても、評論家の鶴の一声で代表作になることもある。この勝負もまた、その人のこれからの人生を作ってゆくのである。

 株取引においても、最近のように、強引ではあるが法的には認められても、政界の関係者から糾弾され、世間から非難される事もある。

 つまり、人生と言う物は自身を含め人の判断無しには綴られず、また勝ち負けの指標も変わるのである。

 そして、このコラムを読んでいる貴方の判断によってまた一つ、貴方の私に対する評価(勝ち負け)が決まり、そして新しい勝負への道標が作られてゆくのである。

「まあ、そーゆーコラムもあります」

こんな4月3日でした。それではまた明日。

「人生は勝ち負けの連続である、今は負けでも自ら命を絶たぬ限り、必ず勝機はやって来る」 nandarou8