明けましておめでとうございます!!!
・・・
・・・
・・・え?
もう2月ですって?
!!!!!
確かに・・・
ってもう知ってたんですけどね^^
まあ、今年一本目と言う事で許してください^^
さて、今年最初のそーゆー日もあるはある詩人の詩を紹介したいと思います。 その詩人とは
『長谷川龍生』
という方で、
紹介する詩は
『ちがう人間ですよ』
という詩です。
ある高校か中学の国語の教科書には載っていましたから知っている方もいると思いますが、これは私の他の人に対する考え方を決めた作品と言っても過言ではない詩です。では以下に記します。
ちがう人間ですよ
ぼくがあなたと
親しく話をしているとき
ぼく自身は あなた自身と
まったく ちがう人間ですよと
始めから終りまで
主張しているのです
あなたがぼくを理解したとき
あなたがぼくを確認し
あなたと ぼくが相互に
大きく重なりながら離れようとしているのです
言語というものは
まったく ちがう人間ですよと
始めから終りまで
主張しあっているのです
同じ言語を話しても
ちがう人間だということを
忘れたばっかりに恐怖がおこるのです
ぼくは 隣人とは
決して 目的はちがうのです
同じ居住地に籍を置いていても
人間がちがうのですよと
言語は主張しているのです
どうして 共同墓地の平和を求めるのですか
言語は おうむがえしの思想ではなく
言語の背後にあるちがいを認めることです
ぼくはあなたと
ときどき話をしていますが
べつな 人間で在ることを主張しているのです
それが判れば
殺意は おこらないのです
最後の『殺意』という文言がオーバーだと思えない人間社会が悲しいです(この詩は1976年の『直感の抱擁』(思潮社刊)において発表された物です。この詩を読むと技術など目に見える物は発展しても、人自体は余り変わらないものだと感じてしまいます。 ただ、この詩は皆さんにも記憶の片隅に残しておいて欲しい、そう思います。
なぜなら、この詩で言っている事は
当たり前なのに
人(あなたの知っている人を思い浮かべていただければ結構です)と
親交が深ければ深いほど意外とできない事
なんです。
ちょっと説教くさい話ですが、覚えておいて損は無いと思います。
「まあ、そーゆー詩もあります」ではまた。
・・・
・・・
・・・え?
もう2月ですって?
!!!!!
確かに・・・
ってもう知ってたんですけどね^^
まあ、今年一本目と言う事で許してください^^
さて、今年最初のそーゆー日もあるはある詩人の詩を紹介したいと思います。 その詩人とは
『長谷川龍生』
という方で、
紹介する詩は
『ちがう人間ですよ』
という詩です。
ある高校か中学の国語の教科書には載っていましたから知っている方もいると思いますが、これは私の他の人に対する考え方を決めた作品と言っても過言ではない詩です。では以下に記します。
ちがう人間ですよ
ぼくがあなたと
親しく話をしているとき
ぼく自身は あなた自身と
まったく ちがう人間ですよと
始めから終りまで
主張しているのです
あなたがぼくを理解したとき
あなたがぼくを確認し
あなたと ぼくが相互に
大きく重なりながら離れようとしているのです
言語というものは
まったく ちがう人間ですよと
始めから終りまで
主張しあっているのです
同じ言語を話しても
ちがう人間だということを
忘れたばっかりに恐怖がおこるのです
ぼくは 隣人とは
決して 目的はちがうのです
同じ居住地に籍を置いていても
人間がちがうのですよと
言語は主張しているのです
どうして 共同墓地の平和を求めるのですか
言語は おうむがえしの思想ではなく
言語の背後にあるちがいを認めることです
ぼくはあなたと
ときどき話をしていますが
べつな 人間で在ることを主張しているのです
それが判れば
殺意は おこらないのです
最後の『殺意』という文言がオーバーだと思えない人間社会が悲しいです(この詩は1976年の『直感の抱擁』(思潮社刊)において発表された物です。この詩を読むと技術など目に見える物は発展しても、人自体は余り変わらないものだと感じてしまいます。 ただ、この詩は皆さんにも記憶の片隅に残しておいて欲しい、そう思います。
なぜなら、この詩で言っている事は
当たり前なのに
人(あなたの知っている人を思い浮かべていただければ結構です)と
親交が深ければ深いほど意外とできない事
なんです。
ちょっと説教くさい話ですが、覚えておいて損は無いと思います。
「まあ、そーゆー詩もあります」ではまた。