こんばんは。
書道をとおして人生の充実をナビゲートする
<魂の書道家>、<書道インストラクター>、<書道トレーナー>の清澄正命です。
(書道教室本部:東京 世田谷区)
ブログに訪れてくださり、
ありがとうございます!
昨日のブログでは、
私、清澄が感じる、最近のお子さまの傾向や、お子さまたちへの願いを書きました。
今日は、
「親」が、「大人」が、子どもとどう向き合うか
という視点で書いてみたいと思います。
私事ですが、私、清澄は、
寡黙な両親のもとに生まれ育ち、
特に父親からは、目に見えるような愛情は探しても思い出せないくらいの接し方で育てられました。
生まれてきた以上、親は変えられないので、そういう人格の親だった、仕方がないと今は受け入れられています。
そういう点で、当教室に来ていただいているお子さん達を見ていると、
親御さんとお子さんが
心を通わせ本当に仲良く、
愛情をいっぱいに受けて育てられ、
幸せそうで微笑ましい、素晴らしい、
そう思います。
しかし、
当教室の親御さんに限らずですが、
愛情を注ぐあまり、
子どもの「自主性」を重んじるあまり、
お子さまの要求(したいこと)を
盲目的に受け入れられているのではないか、
時にそう感じる時もあるのは事実です。
子どもが何に興味があり、何をしたいのか
どんな可能性があるのか
耳を澄ませることは
親としてお子さまへの最善の接し方でしょう。
一方、それと同時に、
子どもには、社会性も学ぶ権利があります。
お子さまの要求(したいこと)は、
時に「社会性」に反することがあります。
「社会性」は、時に子どもにとっては
受け入れがたいこともあるでしょう。
子どもの「自主性」を大事にするゆえに
子どもからの「信頼」を損なうコワさゆえに
子どもの行動に、目を瞑られる親御さんもいるかもしれません。
自分の子どもに限らず、私たち大人は、
早くに生まれた先輩として子どもたちに対し、
時に<苦い>言葉をプレゼントする責任もあるのではないか、
正しく導く責任があるのではないか、
そう思うのです。
大人は、次の世代のため
少しでもよい時代、よい世界になるよう環境を整え、
親子の愛という視点だけでなく、
高い目線で子どもたちを導く
そういう、接し方が求められているように私は思います。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます
↓清澄正命が主宰する、書道教室です。